500彩票网

蔵出し!文书馆 第25回

蔵出し!文书馆
収蔵する贵重な学内资料から
140年に及ぶ东大の歴史の一部をご绍介
 
 

第25回 东京大学で働く女性たちの足跡

 东京大学の「女性初」というと、戦后の女子学生入学や、昭和45年に女性で初めて教授となり、后に东洋文化研究所所长を务めた中根千枝さんについて言及されることが多いですが、それ以前から东京大学で働いていた女性たちがいたことはご存知でしょうか?
 东京大学创设以来、长らく女性が働く场所はおもに看护の领域でした。当馆所蔵の『职员进退』(厂0018)には、明治末以降に医科大学や伝染病研究所に勤めた看护妇长たちの人事记録が残されています。明治43年刊行の『医学部卒业记念写真帖』(贵0025/厂01/0003)では、手术を补助する女性たちの姿をみることができます。
 大正时代に入ると社会的に女性の就労机会が広がり、事务职やタイピストの仕事につく女性が増加しました。前述の『职员进退』をみていくと、东京大学では大正12年の関东大震灾がひとつの契机となって、看护分野以外での女性の雇用が拡大したようです。
 大正13年に附属図书馆嘱託となった女性のなかに、ハワイオアフ岛に生まれ、ハワイ高等女学校および现地の商业学校を卒业した経歴をもつ相良孝子さんがいます。附属図书馆は関东大震灾で全焼しましたが、すぐに復兴运动が开始され、国内外から図书の寄赠も受けて震灾后わずか四年で蔵书数を55万册まで回復させました。彼女の嘱託について「本学図书復兴ニ関シ欧米诸大学ヲ初メ其他各方面ニ亘リ文书ノ往復频繁ヲ极メ候ニ付」と记されていることから、米国での学歴を买われての採用だったと推测されます。
 同年に附属図书馆の他にも、会计课や史料编纂掛(现史料编纂所)で女性が採用されています。履歴书をみると、女子大学を卒业していたり、东京帝国大学の聴讲生であったりするひとが少なくなく、これらの雇用が高等教育を受けた女性の受け皿となっていたようにも思われます。彼女たちの多くは数年で退职していますが、教员以外の立场から大学运営に携わった女性たちの足跡がたしかに残されています。

(特任研究员?逢坂裕纪子)
 


今回の蔵出し资料
『职员进退』(厂0018/厂厂001/0082)

アクセス?キャンパスマップ
闭じる
柏キャンパス
闭じる
本郷キャンパス
闭じる
驹场キャンパス
闭じる