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蔵出し!文书馆 第31回

蔵出し!文书馆
収蔵する贵重な学内资料から
140年に及ぶ东大の歴史の一部をご绍介
 
 

第31回 「不用不急」が求められる中で

 今ではよく耳にするようになった「不要(用)不急」という言叶ですが、実は戦时中にも使われていました。『文部省往復』「教职貟学生生徒旅行并に各种会合取扱に関する件」(厂0001/惭辞234/0017)では、1943(昭和18)年、文部次官から大学総长宛で教职员や学生生徒による旅行や各种会合等について「不用不急」のものは禁止し、実施できるものの详细が记されています。前后の资料を见てみると、この旅行等の制限の初出は1941(昭和16)年で、夏期休暇が始まる时期の鉄道输送の逼迫を悬念して、全国的な体育大会等の会合は当分延期し、再开の指示が无い场合は中止するよう呼びかけられています。教职员や学生の団体旅行も特に指示するもの以外はたとえ文部省主催でも中止し、个人的な旅行は「厳ニ差控ヘ」るよう指示されています(厂0001/惭辞222/0010)。1944(昭和19)年になると、年末年始の一般旅行と军所属者の帰省旅行までもが抑制されることになります(厂0001/惭辞237/0021)。「不用不急」の旅行等の制限が呼びかけられた1943(昭和18)年は学徒戦时动员体制や陆运非常体制が确立してきており、军事目的の输送强化を受けての措置でした。
 一方で制限のある中、大学附设の研究所や演习场等での実习や研究など「教育上正科トシテ実施」するものについては鉄道の利用が许可されていました。また五月祭も1943(昭和18)年までは开催されており、映画会や音楽会、庭园の公开などが行われました(『五月祭 昭和16年~昭和26年』厂0359/厂厂01/0001)。制限がある中でこうした活动が継続されていたことは注目に値します。「不用不急」の旅行等が制限される厳しい社会情势の中でも、大学が教育研究を维持し主体的に动こうとしていた姿が感じられるようです。

(学术専门职员?井上いぶき)


今回の蔵出し资料
『文部省往復』「教职貟学生生徒旅行并に各种会合取扱に関する件」より(厂0001/惭辞234/0017)

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