蔵出し!文书馆 第42回


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蔵出し!文书馆 収蔵する贵重な学内资料から 140年に及ぶ东大の歴史の一部をご绍介 |
第42回 あなたの学部は何色ですか?
1963(昭和38)年11月13日、第90回薬学部教授総会では、1枚の資料を眺めながら「学部のカラー表示」について議論していました。前月に学内で開催された運動会で、当日は「一応濃紺を使用」した薬学部に、学生部からカラーを「決定してほしい」と依頼がきたのです。その資料が写真の文書です(S0259/SS01/0010「教授会?教授総会議事録 昭和38年」)。法学部は緑色、医学部は赤色…と列記され、最下段に薬学部があり、議論の結果、「エンヂ色」が記入されました。そして現在も「臙脂色」は引き継がれ、学部公式パンフレットに決定経緯が議事録の記述をもとに紹介されています。
S0259/SS01/0010「教授会?教授総会議事録 昭和38年」
东京大学のスクールカラー「淡青」は、1920(大正9)年の东京帝大?京都帝大による第1回対抗竞漕(レガッタ竞技)に由来すると有名ですが、各学部「カラー」の経纬は详细不明なものも多いようです。この资料で示された色も、同窓会の名称等に反映され纳得の部局もある一方、意外な印象のものもあると思います。
これら学部カラーの渊源を探ると、やはり分科大学(现在の学部に相当)対抗漕艇にヒントがありそうです。この竞技の歴史は古く、明治中期には盛んに竞漕会が行われ、ときには皇太子の临席もあり、多数の教员?学生、见物人でにぎわいました。法科?医科?工科などは、コース色の固定化とともにユニフォームも色を统一し、各応援団も同色を掲げ、観客も各々贔屓の色の小旗をふり「緑よ」「赤よ」と声援を送って、チームカラーが浸透していた様子が当时の新闻にもうかがえます。
「白色を合印」とする工科は、1890(明治23)年の大会に际し「白蔷薇花の簪」を製作、贩売もしました(『东京帝国大学漕艇部五十年史』より)。1963年も工学部は「白色」となっていますが、现在のロゴは异なるカラーを使用しています(『淡青』第36号)。この経纬も兴味深いところです。
文书馆では、こうした学部カラーの由来と変遷について調査を進めており、次年度の『東京大学文书馆ニュース』で成果をご紹介する予定です。乞うご期待!