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蔵出し!文书馆 第50回

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収蔵する贵重な学内资料から
140年を超える东大の歴史の一部をご绍介

第50回 もう少しだけ、いさせてください

今回は、当馆のデジタルアーカイブで新たに画像を公开した海外留学に関する资料群(『海外派遣教员及び留学生』厂0008/厂厂2)より、明治时代の留学延长愿いをご绍介します。
 「文部省外国留学生」などと呼ばれていた当时の官费留学生は、滞在地や期间が事前に决まっていたものの、必要が认められれば転学や延期が可能でした。延长等の最终的な可否は文部省が判断しましたが、事前に大学侧に意见を照会していたため、延长や転学の愿いやその写しが残っています。
 画像は『留学生関係書類 自明治十九年至同明治二十四年』(S0008/SS2/03)に綴じられていた、明治21年に石川千代松が書いた総長宛ての文書です。石川が延長を願うのはこれが2回目。当初は明治18年から2ヶ年の予定でしたが、すでに「教授ト共ニ着手シタル研究ヲ結了スル願イハ半途ニシテ」一度滞在を延長していました。
 ところがその延长期限が近付くと、「近顷重要ノ一大発见ヲ致シ&丑别濒濒颈辫;何分手放シ兼候」「结果ヲ见ルニ至ラスシテ帰朝致シ候ハ诚ニ遗憾ノ至リ」として再延长を希望。簿册には师事していたアウグスト?ヴァイスマンの书状も一绪に缀られています。愿いは无事闻き届けられ、石川は翌年10月に帰朝するのでした。
 石川の他にも延長願いを出す人は多く、大学側もその必要性を認める旨の回答案を多く残しています。しかし留学の延長が重なれば、新たな留学生の派遣に影響を与えかねません。文部省は明治33年に「必要ト認ムル場合ヲ除キ自今留学延期ハ一切聴許不可成事ニ省議決定」と通知(『留学生関係書類 自明治三十二年至明治三十七年』S0008/SS2/06)。審査が厳しくなったからでしょうか、加茂正雄が明治42年に出した二度目の延長願いは写しにして7ページにもわたり、延長が必要な理由が細かく書かれています(『留学生関係書類 自明治三十八年至明治四十三年』S0008/SS2/07)。
 なかには私费留学に切り替えて滞在を延ばす人も。最先端の知识に接し、贵重な机会を逃すまいとする研究者の想いが伝わってくるようです。

(特任研究员?小泽 梓)

今回の蔵出し资料
→より
『諸向往復 明治十一年分三冊之内丙號』

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