蔵出し!文书馆 第51回


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蔵出し!文书馆 収蔵する贵重な学内资料から 140年を超える东大の歴史の一部をご绍介 |
第51回 法律书库出禁?!
1881(明治14)年6月9日、加藤弘之综理から大原鎌叁郎?本山正久?大谷木备一郎?宫崎道叁郎?目贺田种太郎の5名に宛てて「法律书库ノ书籍持帰ル者ハ閲覧ヲ禁スルノ件」とする文书が出されました。ん?図书馆ルールを破る学生を、わざわざ総理が叱っている?
が、このお叱りを受けた人たちを调べてみると、一人も东大の学生ではありませんでした。全员、东京大学法学部(目贺田は大学南校)出身ではありますが、このとき大原は东京法学社(法政大学前身)で讲师、本山は司法省勤め、大谷木と目贺田は専修学校(専修大学前身)で教鞭を取っています。宫崎は东京大学法学部助教授です。こんな立派な人たちがどうしたことでしょう?
この「诸向往復」という文书群には、省庁や他の学校との间で、鉱物见本や実験机器や図书などを譲りあったり贷借しあったりする文书がたくさん缀られています。そこからは、限られた最新の研究资材を全国规模で融通しあいながら、皆が势いよく新しい知识を得ていた姿が目に浮かびます。东京法学社や専修学校でも东京大学の蔵书に必要なものがちょくちょくあったのでしょう。
実は、加藤総理は同じ顷、文部省にかけあって东京物理学讲习所(东京理科大学前身)に実験机器を贷し出すための制度整备を行いました。东京大学以外にも高等教育机関をつくり、その支援をすることの必要性は十分理解していたはずです。だからこそ「贷さないわけではないのだから、ちゃんと手続きをとりなさい」と言いたかったのかもしれません。日本の近代高等教育萌芽期の姿が垣间见える文书です。
(准教授?森本 祥子)