
书籍名
昭和后期の科学思想史
判型など
560ページ、础5判
言语
日本语
発行年月日
2016年6月
ISBN コード
978-4-326-10252-5
出版社
劲草书房
出版社鲍搁尝
学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)
英语版ページ指定
科学思想史とは、特に决まった定义のある分野ではないが、科学に関わる思想を取り上げて歴史的な検讨を加える学问领域を指す。1990年代以降、科学についてはその社会との関わり、特に経済的?政治的侧面が関心を集めるようになったため、思想的な検讨はややおろそかになったようにも思われるが、未検讨の课题は多く、また新たに生じている注目すべき事态も少なくない。本书は、主として1940年代后半から1980年代前半までの诸课题のうちから七つを取り上げ、それぞれ别の论者が検讨を加えたものであり、章别に独立して読むことができる。章ごとに重复する题材もあれば、同じ対象に関して互いに対立する内容を含むように思われる章もあるが、その成否の判断は読者にゆだねられている。
編者の金森修は教育学部教授であり、本書では最終章 (第七章) を担当しているが、刊行を見ずに2016年5月に逝去した。
以下、本书の概要を绍介する。
第一章から第三章までは第一部を構成し、個別の論者が論述の対象である。第一章は金山浩司による「武谷三男論」であり、戦後すぐから2000年に没するまで、科学技术全般、特に核兵器?原子力問題に関する論客として活躍したマルクス主義者が取り上げられ、全生涯にわたる文筆活動の根幹にあった傾向がどのようなものであったかが論じられる。第二章では、生物学者でありながら『反科学論』(1973年) など科学全般に関する著作を数多く発表した柴谷篤弘が斎藤光によって取り上げられる。主に検討されるのは『反科学論』と『生物学の革命』(1960年) である。第三章では、哲学的傾向の強い思想史家、下村寅太郎が板橋勇仁によって論じられる。板橋は京都学派の研究者として知られるが、下村は京都学派と科学哲学をつなぐ人物であった。
第四章から第七章は個別の論者を超えた課題を扱う。第四章は紹介者のもので、第一章で扱われた武谷三男と、武谷の科学論に強く影響されながら科学史の研究を通してそこから脱するに至った廣重徹が取り上げられる。廣重は、固定化した理論で歴史を断ずる態度を離れて科学史固有の意義を明らかにしていこうとしたが、その根底には、やはり現代科学に何らかの革命が起こることへの期待があった。第五章では、瀬戸口明久が、第二章でも取り上げられた柴谷篤弘と、科学技术の思想史の研究者であった坂本賢三を取り上げる。柴谷の科学批判、坂本の技术批判の対比を、原理としての生命と機械の対比に重ねつつ論じている。第六章、第七章に至って、昭和後期という時代に固有と目される課題が取り上げられる。第六章では美馬達哉が、昭和後期に社会的課題として急浮上するに至った脳死?臓器移植を、社会的合意と技术の進歩のせめぎあう場での課題として論ずる。第七章では金森修が、通常は文学?文学史の課題とされる原爆文学を、核文明下での人間性の表明として検討している。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 准教授 岡本 拓司 / 2016)
本の目次
第一章 武谷三男論 -- 科学主義の淵源 [金山浩司]
第二章 生物学者?柴谷篤弘の科学思想 [斎藤 光]
第三章 下村寅太郎という謎 --「精神史」としての科学思想史と「自己否定の自覚」 [板橋勇仁]
第二部
第四章 科学論の展開 -- 武谷三男から廣重徹へ [岡本拓司]
第五章 生命としての科学 / 機械としての科学 -- 科学の意味をめぐる問い [瀬戸口 明久]
第六章 不完全な死体 -- 脳死と臓器移植の淵源 [美馬達哉]
第七章 核文明と文学 [金森 修]
あとがき