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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白とグレーの表紙

书籍名

光文社新书 幻想の都 鎌仓 都市としての歴史をたどる

着者名

判型など

198ページ、新书判、ソフトカバー

言语

日本语

発行年月日

2022年5月18日

ISBN コード

978-4-334-04607-1

出版社

光文社

出版社鲍搁尝

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鎌仓は、不思议な「古都」である。鎌仓は、人口一七万人ほどの小都市でありながら、年间二〇〇〇万人もの観光客が访れる、首都圏有数の観光地である。鎌仓を访れる人々は、何となく歴史の重みを感じさせる古都のような雰囲気、表现することが难しい「まちの佇まい」に魅力を感じている。しかし、现在の鎌仓には、鎌仓时代の姿を伝える建筑はほとんど残されていない。また、人々が「古都」を感じている建物や景観の多くは、近代になって作られたものである。それでは、いったいなぜ、鎌仓には「古都」の佇まいが备わっているのであろうか。本书は、旧石器时代から现代までの都市鎌仓の歴史をたどることによって、「古都」鎌仓の佇まいはどのように形成されたかを明らかにすることを目的としている。
 
まず第一章では、旧石器时代から鎌仓时代前期までの鎌仓の歴史をたどる。二万年前に鎌仓に人が现れて以降、现在の郊外地域を中心に集落が徐々に形成された。奈良时代には郡の役所が置かれ、周辺に多くの人々が住むようになり、鎌仓は都市となる。そして、源頼朝の幕府开设により、鎌仓は「武家の都」となった。
 
第二章では、鎌仓时代中期から室町时代后期までについて述べる。鎌仓幕府の主导者となった北条氏は、鎌仓の道をはじめとするインフラの整备をおこない、武士たちは谷の开発を进めた。鎌仓幕府が灭亡したのちも、室町幕府や戦国大名は、鎌仓の支配者こそが関东の正统な支配者であることを象徴すると考え、鎌仓を重视した。
 
第叁章では、近世について考察する。近世になると、幕府は江戸に置かれて、鎌仓は政治的な中心ではなくなる。そのかわりに、鎌仓は観光都市となり、鎌仓时代の歴史的事件の関连した新たな伝承も生まれた。中世の鎌仓を舞台とした歌舞伎や浮世絵も、鎌仓へ観光客を诱う要因となった。
 
第四章では、近代から现代までを対象とする。明治以降の鎌仓は、史跡に恵まれた保养地として、别荘や高级住宅が多く设けられ、鎌仓时代のイメージに惹かれた文学者たちが多く住むようになった。そしておしゃれな海沿いの観光地でありながら、レトロで落ち着いた街の佇まいが定着している。
 
以上を踏まえて本书では、われわれが认识している「古都」鎌仓は、鎌仓时代そのままの「古都」ではなく、古都の魅力に惹かれた人々が、时代ごとに付け加えてきた由绪や魅力、いいかえれば「幻想」の集大成であったことを明らかにした。鎌仓には、古代以来の歴史上の人物?出来事の情报が、地名や伝承などの形で埋め込まれており、现代にいたるまで古都鎌仓を爱してきた人々の活动の痕跡が积み重なっている。そうしたさまざま记忆の断片が混ざり合って、「古都」の佇まいが形成された、と结论づけている。
 

(紹介文執筆者: 史料编纂所 教授 高橋 慎一朗 / 2022)

本の目次

はじめに
 
第一章 源氏以前、源氏以後
第二章 北条の都から戦国の鎌倉へ
第三章 観光名所化する鎌倉
第四章 幻想の古都
 
おわりに

関连情报

书评:
牧野邦昭 評 (読売新聞 2022年9月18日)


信浓毎日新闻 読书面 (『信浓毎日新闻』 2022年6月25日)


书籍绍介:
「鎌倉はなぜ世界遺産ではない?「幻想の古都」の真実。」 (J-CASTニュース / BOOKウォッチ 2022年12月3日)

 
鎌倉が世界遺産に選ばれないのはその歴史に理由がある|高橋慎一朗『幻想の都 鎌仓』より (光文社新书 | note 2022年5月18日)

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