500彩票网

FEATURES

English

印刷

インクルーシヴな场を生み出す哲学対话とは何か ダイバーシティ&インクルージョン研究 05

掲载日:2021年11月30日

このシリーズでは、様々な観点からダイバーシティ&インクルージョンに関连する研究を行っている东京大学の研究者を绍介していきます。

総合文化研究科 教授 梶谷真司

―― これまで、数多くの「哲学対話」を行ってこられました。どんな経緯で始められたのでしょうか。

2012年の夏に、私が所属する「共生のための国际哲学研究センター(UTCP:500彩票网 Center for Philosophy)」とハワイ大学哲学科の企画で共同哲学セミナーを行いました。その際、両センターを支援している上廣倫理財団の方が、ハワイで行われている「子どもの哲学」を見てきたらどうかと、中心人物であるハワイ大学上廣哲学倫理教育アカデミー所長のトーマス?ジャクソンさんを紹介してくれたのがきっかけです。

ハワイでジャクソン博士に会ってすぐに意気投合して、カイルア高校とワイキキ小学校に连れて行ってもらったんです。そこで子どもの哲学に出会って、一瞬でこれは面白いなと思いました。いわゆる哲学者の名前や难しい概念が出てきて议论するものではないんですが、子供たちが一つの问题に関して一绪に考えて、とても楽しそうにしているのが印象的でした。やっぱり考えるのは楽しいんだと。

哲学を研究していると、难しいことを顽张って考えて、辛いんだけど楽しい、という喜びは、それなりにあるんです。头を悩ませてやっと光明が少し见えた瞬间とか。でも、子どもの哲学はそういうのではない。难しいことを考えている意识は彼らの中にはなく、ただ一绪に楽しく考えているだけ。でも考えている内容は急に深くなったりする。それも彼らは多分あまり自覚がなくて、とにかく普通におしゃべりしている。ちょっと违うのは、真剣に话していることですかね。子どもたちがにぎやかに「现実と梦の违いは何か」について真剣に话していて、こんなことも普通に话せるんだと思いました。

総合文化研究科の梶谷真司教授。葛藤を抱えた人は、対话型の哲学に向いているという

2012年11月に日本で初めてワークショップをしました。告知をホームページに載せて、哲学対話を実践している知り合いを登壇者に迎えたら、大した宣伝もしていないのに45人定員の部屋に80人ほどの参加者が来たんです。そのときのテーマは、Philosophy for Everyone (哲学をすべての人に)でした。参加者の多くが、「哲学ってよくわからないんですけど」、「哲学書って読んだことないんだけど」と言っていました。女性が多かったのが印象的で、中高年男性の哲学好きが集まるそれまでのイベントと全く客層が違っていました。哲学が今までにない形でいろんな人が集まる場になり得ると知るきっかけになりました。

今、オンラインで哲学対话をやると、参加者の8割以上は女性です。それもいわゆる専业主妇の人たちが考えてることがすごく面白い。一般のイメージでは、専业主妇は世间知らずのように语られることが多いでしょう。仕事をせず、家庭しか知らない、と。だけど、すごく视野が広いと思います。多分、子ども、ママ友、学校の先生、夫、舅、姑といろんな人と関わっていて、中にはもともと仕事をしていて専门的な能力を持っている人たちもいる。仕事をしていた自分のアイデンティティもあって、葛藤があったりする。葛藤をたくさん抱えた人は、対话型の哲学にすごく向いているんですよね。一般的に、社会の中心にいない人たちの方が话は面白いですね。

―― 面白いとは?

一般的にはこうだ、と言われている価値観とは违うことを考えている。彼らは、普通の公の场では话す机会が多分与えられていないわけですよ。そのような考えがすっと出てくる。

女性の中でも、たとえば外で働いている人は话すことが外で働いている男性に近いのですが、専业主妇で、しかも介护しているなど苦労している人ほど、普通なら闻かないような话をすることが多いんです。进学校ではない学校に行っている子どもや、発达障害を抱えている子どもなども同じ倾向があります。

普段、周辺に追いやられていて、いろいろ耐えている人から、目の覚めるような言叶が出てくると、そういう人たちがいるからこそ対话が豊かになると思うし、彼らは世间知らずだとかものをしらないとか低く见られがちですけど、実际には全然违うと感じます。昨今、インクルージョンや多様性といったことがよく言われながら、どういうことを指しているのかよく分からないことが多いですが、哲学対话は、そうした言叶で表されることがごく普通に実现する场だなと思います。

毎回、テーマごとに何か発见があります。「お金」「母亲」「アニメ」など、普段、哲学者が论じないようなテーマを取り上げますが、面白いですよ。ちゃんと哲学的な话になります。

―― 先生が2018年の著書『考えるとはどういうことか』で示された哲学対话の8つのルールは、もともとハワイ大学で使われていたものですか?

哲学対话の8つのルール
1.何を言ってもいい。
2.人の言うことに対して否定的な态度をとらない。
3.発言せず、ただ闻いているだけでもいい。
4.お互いに问いかけるようにする。
5.知识ではなく、自分の経験にそくして话す。
6.话がまとまらなくてもいい。
7.意见が変わってもいい。
8.分からなくなってもいい。
(梶谷真司著『考えるとはどういうことか』2018年9月刊、幻冬舎新書 より)

いえ、私が作ったものです。普通、ルールは3つぐらいなんです。ただ、上手なファシリテーターの进め方を见ていると、别の配虑もきちんとしている。自由に気楽に発言するのを妨げている要因を考えて、8つに绞りました。中には哲学対话の実践者がこのルールはおかしいんじゃないかと言うものもあります。例えば、「しゃべらなくていい」はおかしいでしょう、しゃべってこその対话でしょう、と。けど、话さないといけないプレッシャーをかけられるとしゃべれない人たちはたくさんいるんです。「まとまらなくていい」も、哲学は论理の积み重ねだからだめだ、と言う人がいるけど、话がまとまらないからしゃべれない人もいっぱいいる。私は、哲学的な深みや緻密さより、できるだけいろんな人が话せる场を作ることが一番大事だと思っています。

―― 新型コロナウイルス感染症の影響で対面イベントが制限されるようになって、どんな影響を受けましたか。

コロナ以降、オンラインで自分がファシリテーターになって哲学カフェを运営する人や哲学対话をする人が爆発的に増えました。そこで私の本のルールが採用されていることが多いと闻くようになりました。

オンラインだと、円を作って座る、できるだけ近くに座るなどのルールが実行できないんですが、円になることのポイントは、お互いが等距离で向き合うことですよね。オンラインは、まさに全员が完全に向き合っているので、むしろ円になるよりいいところがある。あと、オンラインになってよくわかったのですが、対面だと、他人の存在感や、何となく圧迫感を醸し出している人に妨げられてしゃべれないことがあるんです。ところが、オンラインだと気にならないんですね。そういう意味でもオンライン化ではるかにハードルが下がった。夜の10时、11时から始める人もいるし、家にいて部屋着でソファーにふんぞり返っている人もいるし、たまに寝転がっている人がいたり、目の前を猫が横切ったり、そんな状态でやっているので、皆、本当にのびのびと话をします。

―― 哲学対話は、先生にとって研究の一部ですか?

そうですね。体験としての哲学の场をどうやって作るのか、そしてそのとき、何が大事なのかを研究する一环としてやっています。普通、人间は同じものを共有することでコミュニティを作る。働く目的が一绪だから、血縁だから、学力が近いから、など、类似性や同质性がコミュニティを作る原理になっている。けれども、哲学対话は差异があることが一绪にいる根拠になる。生活や行动を共にする共同体のような形ではないけど、哲学対话をやっているその时点では、违うからこそ一绪にいる意味があるというコミュニティがあるんですね。违うから一绪にいるのが面白いじゃない、とさらっと言えるんです。

ダイバーシティやインクルージョンを問題にするとき、哲学に限らず、理論だけで考えていると、平等や対等になろう、差別をなくそう、異質なものを受け入れよう、相互理解や相互承認、寛容さが大事だ、そのため対話が必要だ、など、いろんなことが言われます。けれども、それらは単なるお題目ですが、具体的にどうすればそういうことができるのか分からないままです。それでみんなで努力したり我慢して、結局うまくいかないことが多い。でも哲学対話をしていると、なぜそういうことができないのか、どうすればそれができるのか実感としてよく分かるようになります。それを「共創哲学(inclusive philosophy)」として発展させることが、現在の私の研究テーマになっています。

取材日: 2021年7月30日
取材?文/小竹朝子
撮影/ロワン?メーラー

関连リンク

BiblioPlaza

アクセス?キャンパスマップ
闭じる
柏キャンパス
闭じる
本郷キャンパス
闭じる
驹场キャンパス
闭じる