廃墟を守る 军舰岛のコンクリート建筑に魅せられる理由


長崎県沖の端島の全景。軍艦のような姿をしていることから一般的には軍艦島と呼ばれている。© 2018 野口貴文
东京大学工学系研究科建筑専攻长の野口贵文教授は自他ともに认める「コンクリート建筑の医者」です。

東京大学大学院工学系研究科の野口貴文教授 © 2018 東京大学
30年间の研究生活の大半を、古くなった鉄筋コンクリートの状态を诊断することに、また「手术」を施すことでコンクリート建筑を长生きさせることに费やしてきました。
そんな野口先生に7年前、长崎県のとある无人岛にある、世界で最も劣化の进んだコンクリート建筑の调査と修復に知恵を贷してほしいという依頼が舞い込んだ时、断る理由はありませんでした。
その岛の名は端岛(はしま)。鉄筋コンクリートの建物が詰め込まれた6ヘクタールの岛が、军舰のようなシルエットを呈していることから「军舰岛」と一般的に呼ばれています。
海底炭鉱を抱える军舰岛は1974年に无人岛となり、そのまま放置されてきました。
住宅を含む木造の建物はすべて台风と高波で吹き飞ばされて消灭してしまいました。コンクリートの建物はかろうじて残っていますが、錆びて折れ曲がった鉄筋がむき出しになっています。
「普通の状况だと、ここまでダメージを受ける前に建物は取り壊されるはずです」と、劣化を示す详细なデータを手にしながら语る野口先生。「あそこまで劣化している状态というのはきわめて珍しい。残っていてくれてありがたいと思うほどです」。
観光ブーム

空から见た端岛(军舰岛)。
By Flickr user: kntrty https://www.flickr.com/photos/kntrty/ [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons
现在は一大観光地としてにぎわう军舰岛。2009年、指定された一部のみ、长崎市が観光客向けにフェリーでの一时上陆を许可しました。
军舰岛の人気は2012年に007シリーズの映画「スカイフォール」で悪役キャラクターの基地の舞台になってからうなぎ上りに。2015年のユネスコ世界遗产リスト入りも人気に拍车をかけました。
叁菱财阀によって开発された军舰岛は、日本の20世纪初头の急速な产业化のアイコンでもあり、第二次大戦后の復兴の象徴でもあります。防潮堤で囲まれた岛の人口はピーク时の1960年には约5300人にも上り、地球上でもっとも人口密度の高い场所の一つでした。この「コンパクトシティ」には学校、病院、邮便局、寺社からパチンコ店、映画馆までが揃っていました。

錆びた冷蔵庫が放置されたアパート。戦後、この島では全国に先駆けて当時の「三種の神器」であるテレビ、洗濯機、冷蔵庫が普及した。© 2018 野口貴文
他の研究者たちと2011年秋に军舰岛に初上陆した野口先生は、この特殊な岛の生活の片鳞を垣间见ています。
1974年の炭鉱闭锁以降、岛のアパートは、住民が退去してから手つかずの状态。ほとんどの日用品がそのまま残されていたので、当时の生活の様子を伺うことができたと话します。
「テレビ、洗濯机、漫画、新闻、それに给与明细や通知簿まで见つかりました」と语る野口先生。「时间が冻结されているようでした。なんとなく覚えているなつかしい私の子供时代を思い出しました」。
戦后、この岛で働いていた鉱员たちは比较的高给取りだったため、当时の赘沢品だった「叁种の神器」であるテレビ、洗濯机、冷蔵库を买う余裕があったといいます。
先进的な建筑技术

1916年、日本で最初の高層鉄筋コンクリート共同住宅として建てられた30号棟。© 2018 野口貴文
古いものでは100年以上の歴史を持つ鉄筋コンクリート建筑は、先进的で当时最先端の技术を使って建てられたと野口先生は话します。
1916年筑の30号栋は、日本で最初に建てられた鉄筋コンクリートの高层アパート。140戸からなる30号栋は当初4阶建てでしたが、のちに7阶に拡张されました。
他の建物も、厳しい自然环境を耐え抜けることができるよう设计されていました。
「海沿いの建物は防潮堤としての役割も兼ね备えていました。岛は台风シーズンには异常な高波に袭われます。当时撮影された写真で、台风时に住民が岛の中央にある高い建物の屋上に避难し、高波が海侧の建物に激しくぶつかる様子を眺めているものが残っています。海侧の窓は小さめに设计され、廊下を隔て部屋が配置されていました」。
その他にも、16号栋から20号栋の住宅アパート群には共通の中庭がありました。日光が中庭に届くように、高层の阶は阶段のようにセットバックされています。

16号棟から20号棟は中央の中庭に日光が届くように、高層の階は階段のようにセットバックされていた。© 2018 野口貴文
2011年以降、野口先生を含む研究グループは、赤外线スキャナーなど様々な道具を使って鉄筋コンクリートの调査を开始。同时に倒壊の危険が高い建物の补修方法や补强方法の调査も始めています。
野口先生によると、セメントと骨材と水の混合物であるコンクリートは本来あまり劣化しないとのこと。ところが、海水にさらされ塩分が染みこむと、中の鉄筋を腐食します。腐食した鉄筋は酸化して太くなり、内侧からコンクリートを圧迫し、ひび割れが起こりやすくなります。
ひび割れたコンクリートにはさらに塩分を含んだ水や酸素が入りやすくなり、鉄筋を膨张させる结果、コンクリートが剥がれ落ちていく、という过程をたどります。
これらの劣化対策として、さまざまな方法が検讨されていますが、その一つはコンクリート中の电気の流れをコントロールしようというもの。
现在、酸化反応を生じている錆びた鉄筋は电気的に阳极になっているため、太阳光パネルで生み出した电気を使って常时电流を流すことで、コンクリートが高浓度の塩分を含んでいても、鉄筋が酸化や腐食するのを食い止められるかもしれないのです。
廃墟の文化的価値

がれきがあちこちに散乱する65号棟。いつ崩落するか分からない建筑現場で働く作業者を確保するのも容易ではない。© 2018 野口貴文
一方で、指定文化财の补修には独特の课题があります。例えば、岛の建筑物の补修、补强に使われる技术は「可逆的」でなくてはなりません。将来的によりよい技术が登场した时、置き换えることを可能にするためです。
劣化が进んだ建物をそのまま守る方が、一度取り壊して新しいものを一から作るより费用がかかります。
「军舰岛の文化的価値には、廃墟になってから40年间の歴史も含まれています」と话す野口先生。「なので、廃墟として保存されなければならないのです」。
长崎市が割り当てた予算は、补修に必要な额には程远いのが现状。さらに、补修は时间との戦いでもあります。
「7年前に最初に岛を访れてからも、建物はどんどん劣化が进んでいます」。
いつ倒壊するかもしれない建筑现场で働くことを厌わない作业者を确保するのも容易ではありません。

鉱員住宅の一つだった65号棟(東)。コンクリートがはがれ落ち、鉄筋が剥き出しになっている。© 2018 野口貴文
それでも、野口先生は保存に取り组みます。2016年には、产业界の协力を得て、様々な化学物质や防錆剤を涂布したコンクリートブロックを配置し、10年かけてその劣化状况を调べるプロジェクトが始まりました。
病院があった建物の屋上に置かれたそれらのコンクリートブロックの调査のため、またその他の建物の调査のため、年に2回は岛に上陆しています。
「建物が生き残ったとしても、また崩れ去るとしても、我々研究者にとっては非常に兴味深い知见が得られるはずです」。
取材?文:小竹朝子