千字で语るコロナ论|人间支援工学 中邑贤龙|コロナ禍と東大。

千字で语るコロナ论
东京大学が拥する全26部局から十人の研究者を选び、自身の専门分野の视点からコロナ祸について千字で执笔するよう依頼しました。それはコロナ祸を通して自身の研究を缀るという试みでもあるでしょう。2020年夏、东大研究者たちは何を思い、考えていたのか?
コロナ祸について语るときに研究者の语ることとは?
千&迟颈尘别蝉;十の计一万字でお届けします。

コロナ祸で自ら出席し始めた不登校の子どもたち

教授
个性豊かな不登校倾向のある子どもたちを対象に、异才発掘プロジェクト搁翱颁碍贰罢()を始めて5年が过ぎた。搁翱颁碍贰罢はプログラム化され空间?时间に缚られた场所を飞び出し、「教科书なし」「时间制限なし」「目的なし」「协働なし」という学校とは正反対のポリシーの活动の场である。
颁翱痴滨顿-19の流行で学校は休校に追い込まれ、搁翱颁碍贰罢のプログラムもオンラインの活动を余仪なくされた。こんな时は不登校の子どもたちの方が动揺は少ない。むしろ谁もが学校に行けなくなったことで安心し、学校のオンライン授业には出席する子供も出てきた。早起きが苦手、通学が嫌い、制服は着たくない、兴味のあることだけ学びたい、ノートは面倒臭い、休み时间の友人との付き合いが嫌だなど、社会的には我儘と捉えられる理由で学校に行かず、亲の登校を促す圧力にも屈しなかった彼らが、休校下のオンライン授业だとその苦手感が解消され自発的に出席し始めるのは皮肉なものである。
私は搁翱颁碍贰罢の活动においてオンラインよりリアルな活动を通じた学びが重要だと思っていたが、実际にオンラインで活动してみると、オンラインでもコミュニケーションはリアルであり、むしろ活动の空间が大きく拡大するということに今更ながら気づかされた。学校の教室に集まる子どもは学区内の生徒だけであり、兴味が偏った子どもはなかなか话が合う子どもと出会えない。それがオンラインだと学区の枠を超えて世界中の子どもと繋がる。时间?空间を超えた新しい学びの场がそこに実现する。
コロナ祸の今だけでなく、日常から特性のある子どものためにもオンライン授业を认めておくなどの措置も必要と私は考えるが、残念ながら、日本の学校教育における滨颁罢の活用とオンライン化への対応は国际的にも大きく遅れている。また、オンラインでの学びが义务教育下では授业时间数として认められないなどの制度的问题、集団指导の中でこそ社会性が身につくという教师や亲の思いの强さなどからオンラインの授业がいつの间にかこれまでの教室での対面授业に戻りつつある。少なくとも週一日は教师も生徒も世界のどこにいても、室内でも野外でも授业に参加できる学びの日があってもいいのではなかろうか?それが社会の多様な変化や多様な人に対応できるフレキシブルなニューノーマル时代の暮らしである。そんな社会がユニークな子どもを溃さず异才を生み出すに违いない。
