美术史学研究室の秋山先生は、美术作品の意味を解読する図像学を専门の一つとしています。
若き日に取り组んだ小便小僧の研究では、放尿が豊穣の象徴となることで広い人気を得た可能性を指摘。
そこから発展した「描かれた蝇」の研究とともに、図像学の面白さを绍介します。
図像学&迟颈尘别蝉;尿
美术史から読み解く小便小僧~プエル?ミンゲンス※について
※ラテン语で「放尿する子」
秋山聪
AKIYAMA Akira
人文社会系研究科 教授

约束事から作品の意味を知る
図像学(アイコノグラフィ)は、絵や彫刻などの作品の意味を解読するものです。字が読めない人は画中の铭文を见てもわかりませんでした。でも、矢が刺さっていればセバスティアヌスだとか、竪琴があればアポロンだとか、薬の壶を持つ仏像なら薬师如来だとか、谁の像なのか、どんな出来事を表すのかといったことがわかります。それには、时代や地域?文化?宗教によって异なる约束事の理解が必要です。美术史研究は意味を调べるものと形を调べるものに大别されますが、前者の方法论の一つが図像学です。
大学院生の顷、作品にしばしば登场する小便小僧が気になりました。ブリュッセルの小便小僧は少年の小便で敌军が退散したという伝説によって有名になりましたが、私は有名でないものにも兴味が涌きます。ドイツ留学时、ティツィアーノ《アンドロス岛の住人たちのバッカナリア》を発端にフライブルク大学の図书馆で调べると、50点ほど集まりました。そこで、各々の影响関係を调べ、成果をまとめて発表しました。
昔から人は尿に神秘的な力を见てきました。古代ローマの排泄を论じた民俗学の论文で印象的だったのは、オヴィディウスの神话に出てくる话でした。ゼウスとアポロンとヘルメスが老夫妇宅に一泊した礼に愿いを叶えると言うと、老夫妇は息子が欲しいと答え、叁神が大地に放尿して生まれたのがオリオンです。翱谤颈辞苍は英语の耻谤颈苍别(尿)と同源。放尿と射精を同一视する见方もあり、小便小僧は豊穣の象徴ともなります。
秋山先生の分析によると、小便小僧は形式の上では、1性器に触らない、2片手で触る、3両手で触るの3种类に分かれます。


1619年にジェローム?デュケノワにより制作された原作(ブリュッセル市立博物馆)のレプリカ
photo: Myrabella

射精&谤补谤谤;豊穣を象徴する少年像

圣人の遗体?遗物はどう敬われ、その価値はどう信じられてきたのか。キリスト教社会の热狂と芸术への昇华の歴史を辿る一册。
小便少女の像もあるにはありますが、多いのは圧倒的に少年像です。女性は一般に立ち小便をしません。しゃがんだ姿势だと放尿か排便かが判别しにくく、男性だと射精=豊穣の意が加わりえますが、女性だと放尿と排便との区别が困难です。また、喷水や蛇口として使いやすい造形も影响しているでしょう。浴室にしつらえると爱娇があり、尿?汤のコミカルな连想も加わる。いろいろと含みを持たせやすいのが小便小僧なのでしょう。
ドイツ留学时、空港のトイレ等では小便器に的として蝇が描かれていました。これには図像学的な伝统があります。絵に本物と见纷う蝇を描き加えて技术の高さを示すというものです(テンペラ画では卵を使うので実际に蝇が集る)。调べると蝇を描いた絵はルネサンス期だけでも100点以上ありました。画家の名声には特笔すべき実绩が必要ですが、彼らにとってはその一つが蝇の絵。圣母の膝やキリストの体に描いたり、额縁に描いたり、宗教的な内容から现実的な技巧に意识を移すために使われた例もありました。调べた成果は博士论文中の一章にまとめました。
ブリュッセルでも浜松町駅のホームでも、小便小僧像はよく服を着せ替えされています。像に服を着せる行為は中世以降のキリスト教世界に多いほか、仏教世界でも见られ、裸や半裸で造形して衣や袈裟を着せる裸形着装像が国内で60点ほど确认されています。日本ではお地蔵さんや薬局のマスコット人形に着せたりもします。人の形をしたものに服を着せたくなるのは宗教的というより人间の普遍的な感覚かもしれません。ここのところもう一つの専门となっている比较美术史の文脉で调べてみているところです。