インクルーシブキャンパスになりきれていない
ここ数十年で大きく向上した东大キャンパスのインクルーシブネス。
2024年には(滨苍肠濒耻顿贰)も创设され、障害がある学生などへの支援の幅も広がりましたが、真のインクルーシブキャンパスになるにはまだ道半ばです。
自身も车いすユーザーとして、东大で学生时代を过ごした滨苍肠濒耻顿贰副センター长の熊谷晋一郎先生に、过去との比较、そして文化的な新たな课题について绍介してもらいます。
支援制度の充実で见えてきた「文化」の课题
障害に関する环境は向上

KUMAGAYA Shinichiro
先端科学技術研究センター 教授
多様性包摂共创センター(IncluDE)副センター長
私が东京大学に入学した1995年と比较すると、东大の障害に関するインクルーシブネスは飞跃的に向上しました。约30年前のキャンパスには、使い胜手の悪い车いすトイレが数えるほどしかなく、段差が多いために、必修の授业が行われる教室まで辿りつけないこともありました。
现在もまだ十分とは言えません。特に歴史的建造物に関してはバリアフリー化の工事を自由自在にすることはできないため、多くの课题が残ります。実験室のバリアフリー化や情报アクセシビリティなどの対策も必要です。
それでも、ここ数十年の間にキャンパスの環境は着実に進化してきました。制度面でも、2004年にはバリアフリー支援室が立ち上がっており、相談するとさまざまな調整をしてくれます。2024年には男女共同参画室と統合して多様性包摂共创センターが創設され、複数の軸で障壁を経験している方にも対応できるようになりました。
その一方で、文化的な侧面で新たな课题が见えてきました。私が学生だった顷は、専门的部署がなかったために复数の教员が私の担当になり、一绪にキャンパスを练り歩いて使い胜手の悪さや必要なものを确认する、といった様々な支援をしてくれました。日常生活では、同级生がシフトを组んで料理やトイレ、入浴などを助けてくれました。山口から上京しての一人暮らしでしたが、いつの间にか合键が8本になり、家に帰ると常に谁かがいて小さなコミュニティが形成されていました。

相対的に薄れた支援も
このような、かつて私が経験したインフォーマルな支援に関しては、相対的に薄れてきているのではないでしょうか。以前は、それぞれの构成员が自分事として、障害のある学生と向き合い、行动していたような场面において、制度化以降、「専门部署があるからそこにまかせよう」となってしまうことが少なからずあるように感じています。他人事ではなく、どうやったら隣人として、仲间として、バリアフリーの问题を皆が感じ取れるキャンパスにしていけるのか。その文化的な障壁の打破が新しいチャレンジの一つです。
ただ、これは私が肌感覚で感じていることで、本当にそうなのかを検証する必要があります。海外では「climate survey」という、組織風土を数値化する取り組みを行っている大学があります。障害がある人にとって差別がないキャンパスだということを定期的に調査し、可視化しています。東大でもそのような取り組みを始めようと準備しています。
当事者が単にニーズを诉えるだけではなく、自らがキャンパスを作る主役になり、活动していく。そしてそれを大学が応援することも大切だと思います。私の研究テーマが、困难をもつ本人がその困难の解釈や対処法について探求する「当事者研究」だということもありますが、障害に限らず、様々な困难に直面する当事者と、多くの仲间が共に手を取り合って、キャンパスをよりよいものにしていく文化の醸成を目指して活动したいと考えています。

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