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令和3年度东京大学学部入学式 教养学部长式辞

令和3年度东京大学学部入学式 教养学部长式辞

东京大学入学者のみなさん。ご入学おめでとうございます。本日ご列席はいただけませんでしたが、入学者のご家族のみなさまにも併せてお祝いを申し上げます。教养学部长の森山工です。

唐突ですが、みなさんはアウレリウス?アウグスティヌスという名前をご存知でしょうか。キリスト教の教父としてローマ帝国时代の4世纪后半から5世纪前半を生きた人です。カトリック教会その他で「圣人」として认められており、圣アウグスティヌスとも呼ばれます。

アウグスティヌスは、神学者、哲学者として后世に多くの着作を残しました。その一つに「问答集」があります。83におよぶ问いに対して、一つずつアウグスティヌスが答えを返しているものです。そのなかに、次のような问いがあります。

神が万物を创りたもうたのであれば、どうして神は万物を同じに创られなかったのか。

この问いに対するアウグスティヌスの答えはこうです。

もし万物が同じであったならば、万物は存在しないであろうからである。

アウグスティヌスがいっているのはこういうことです。もし万物が同じであったなら、万物は存在しないことになってしまう。万物が同じであったなら、存在そのものが意味を失うことになる。存在が意味をもつためには、世界をかたちづくる事物の多様性が必要である。

ここは、キリスト教の教义やその解釈について语る场ではありません。しかし、この答えには重要な思想があらわれています。この世界に存在するさまざまな事物、そのなかにはもちろん人间も含まれるわけですが、そうしたさまざまな事物は、一つとして同じではない。けれどもそれは偶然ではない、という思想です。すべてが同じであったとしたなら、事物の存在そのものが无意味となってしまうという思想です。だから、存在が存在としてあるためには、事物は多様でなければならないし、现に多様であるという思想です。

世界は万物が多様であるように秩序づけられているという思想。ここからわたしたちは学ぶべきではないでしょうか。もし万物が多様であるとすれば、わたしたちには万物のその多様性をそれとして认识することが必要になるからです。

わたしたちが现在生きているこの世界においては、しばしば多様性を同质性へと単纯に还元しようとする动きが见られます。たとえば、个人は人间としてみな同じであるという考え方があります。「人间性」という考え方です。もちろん、「人间性」という「同质性」を认知することは必要でありましょう。「人间」としての「人権」や「平等」を保障する上でも。けれども、すべてが同じであったとしたならすべては存在しないことになってしまうという思想に照らして考えるなら、すべての个人を「人间性」という「同质性」に一元的に还元してしまうかぎり、个人は人间としての存在の意味を失うことになってしまうでしょう。だから、「人间性」という「同质性」を认める一方で、それにもかかわらず、诸个人は「多様である」ということを认めることが必要になるのです。

多様性ということを考えるときに、わたしたちが注意しなくてはならないことがあります。それは、漠然と、あるいは漫然と、「多様性」と唱えているだけでは何も议论が进まないということです。「多様性」とは「何についての」多様性であるのか、これをつねにみずからに问いかけることが重要であるということです。

たとえば、受験竞争を胜ち抜いてきたみなさんにとっておそらく现実味があるのは、「学力についての」多様性でありましょう。多様な学力をもつ中等教育修了者のなかから、みなさんは「秀でた」学力をもつ人として东京大学の选抜试験に合格されました。けれども、そのみなさんにしても、「东大生」として「同质の」学力をもつわけではありません。みなさんのなかには、たとえば数学に秀でた适性や能力をもつかたもおられるでしょうし、そうでないかたもおられるでしょう。あるいはみなさんのなかには、语学に秀でた适性や能力をもつかたもおられるでしょうし、そうでないかたもおられるでしょう。

学力についての多様性が、「东大生」というレッテルのもとに「同质性」に一元的に还元されようとするときこそ注意が必要なのです。その同质性にみずからを预けるのではなく、一见すると同质と见えるものたちのなかにも、「何についての」多様性かという论点を挿入するだけで、さまざまな「多様性」があらわれてくるからです。「数学力についての」多様性であるとか。「语学力についての」多様性であるとか。

こうした学力についての多様性は、大学という高等教育机関にあって、まさに教育の场においてそれとして认知すべき课题です。教养学部では、こうした学术分野に関する适性や能力の多様性をさまざまなかたちで认知し、それを教育の场に积极的に活かす取り组みをおこなっています。理系の素养を大学での学修の早期から伸ばそうとする「アドバンスト理科」という科目群があります。同様に、「アドバンスト文科」があり、「アドバンスト文理融合」があります。语学の素养をもつ学生を念头に、その语学力を早期から锻えようとする「トライリンガル?プログラム」があります。また、东京大学全学としては、国际的な活跃の场を求める学生のために「グローバル?リーダーシップ?プログラム」があります。世界の多様な人々と共生し、ともに働く力を养うために「国际総合力认定制度」があります。

けれども、多様性は何も「学力についての」多様性だけではありません。たとえば、学部学生における「男女比率についての」多様性はどうでしょうか。学部学生における女性学生の比率は20%程度であり、この数字だけから见るかぎり、男性学生への「同质性」のほうに大きく倾いています。けれども、だからといって少数者である女性学生を无视して大学生活が成り立つはずもありません。同じことは、「性自认や性的指向についての」多様性にもあてはまります。「障がいの有无についての」多様性にもあてはまります。「国籍や出身地域についての」多様性にもあてはまります。「生まれ育った言语や文化についての」多様性にもあてはまります。「信仰する宗教についての」多様性、これは无宗教であることも含めた多様性ですが、にもあてはまります。いずれにおいても、少数者を无视し、多数者に「同质化」する力学を働かせることは、多様性をそれとして认知することにはつながりません。

そのように见るならば、多様性というのはいくつもの论点「について」见いだすことができるはずです。翻ってみれば、同质性についても、それが「何についての」同质性であるのかを明确化することが必要なのです。究极的にいうならば、学生のみなさん一人ひとりが他の学生との関係において、同质な面とともに、异质な面をもっているのです。だから、同质だとすれば、それは「何について」同质であり、异质だとすれば、それは「何について」异质であるのかを、その都度明らかにしなくてはならないのです。

このように、みなさんは、そのそれぞれがそれぞれに対して、部分的に同质であると同时に、部分的に异质であるものとして存在しています。别の言い方をすれば、みなさんは、そのそれぞれがそれぞれに対して、部分的に重なり合い、部分的にはみ出し合うものとして存在しています。これは、みなさんが相互に、「部分的につながり合うものとして」存在しているということを意味しているのではないでしょうか。同质的に重なり合うところで少しつながり合い、异质的にはみ出し合うところで少しつながり合いといった具合に。完全に同质なわけではありません。完全に同质であったなら、アウグスティヌスがいったように、存在しないことになってしまうでしょうから。その一方で、完全に异质なわけでもありません。完全に异质であったなら、相互的なコミュニケーションは不可能になってしまうでしょうから。同质性を认めながらも、同质性に全员を一元的に还元するのではなく、异质なものの多様性をそれとして认める上では、この「部分的なつながり」という考え方が重要であると思います。

そして、この考え方が意味をもつのは、みなさんの一人ひとりと、みなさんの周囲の身近な人々とのあいだにおいてばかりではないのです。みなさんにとって远いところにいる人々とのあいだにおいてもそうです。世界のどこか见知らぬ地域の、さまざまな境遇にある见知らぬ人々とも「部分的につながっている」と想像してみてください。そのような想像力を、みなさんのうちに活性化させてください。多様性と同质性をともに含み込みながら、部分的につながり合っている人々という観念をみずからのものとしてください。そうすれば、みなさんは、他者に対して、その他者は身近な他者であっても、世界の远いところ、あるいは远い时代に生きる他者であってもよいのですが、その他者に対して、「无知」でいることも、「无関心」でいることもできる。けれども、「无関係」でいることはできない、ということに思いをいたすことでしょう。

教养学部は、みなさんの「无知」についてはそれを「知」にかえ、みなさんの「无関心」についてはそれを「関心」にかえるよういざないます。しかし、教养学部でそうして学びを深める一方で、自分が他者と「无関係」ではないのだということ、部分的につながり合っているのだということ、このことはしっかりと自覚しておいていただきたいと思います。自分と部分的につながり合っているものとして他者を思い描くこと。そのような想像力を、みなさんがそれぞれに働かせること。それが、教养学部における学びにとって重要であるということを申し上げます。

教养学部长としては、オンライン授业のあり方や対面授业のあり方などについていうべきこともあったかもしれません。オンライン形式であれ対面形式であれ、教养学部はみなさんの学びを可能なかぎり深めることを目指します。しかし、授业の形式の如何ではなく、何よりもみなさんの一人ひとりがみずから「考える」ということが重要なのです。しかも、「想像力」を働かせながら考えるということが。そのような学びをみなさんが教养学部で深められることを愿って、教养学部长としてのわたしの式辞といたします。

令和3年4月12日
东京大学教养学部长
森山 工

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