东京大学教职员?学生の手记「东日本大震灾时の留学生」


東日本大震災 - 东京大学教职员?学生の手记
平成23年3月11日に発生した东日本大震灾発生时の様子やその后の行动、対応、感想等を本学関係者に手记として执笔してもらいました。
东日本大震灾时の留学生
国際本部国際センター 准教授 大西 晶子
震灾を通じ改めて明らかになったのは、様々な意味で留学生にとって「情报」が重要であること、またその情报を発信する责任を、大学が担っているということである。以下、震灾后の留学生の动きを、情报を巡る问题を中心に振り返りたい。
震灾时、学内には大势の留学生がいたが、日本人学生や教职员が周囲にいたこともあり、比较的落ち着いた様子であった。不安はむしろ、その后の津波の映像や、余震の高い确率に関する报道、心配した母国の亲?知人からの连络により强まっていったと言える。11日夜のうちから、留学生同士が情报共有を行っている様子が、国际センターへの问合せや、留学生グループの惭尝(メーリングリスト)等から伝わってきたが、情报不足の中、学生间のやり取りは、不安を高め合う面も少なからず持っていた。また、日本语力や日本での友人知人の存在によって、留学生间の情报格差、认识の差も少なくなかった。こうした中、原発の状况の悪化、外国と日本のメディアの报道内容の差、自国民に帰国を促す几つかの大使馆の动き等があり、状况は週末のうちに大きく动いていた。大学が本格的に対応を始めた週明けの时点で、既に成田を発って出国していた学生も少なくなく、その后数日间は、学内中の留学生関係者が、安否确认と并行して、帰国を计画する学生からの问合せ対応に追われることになる。その一方で、被灾地支援を申し出てくる留学生も复数名おり、学生の反応は非常に多様なものであった。
仲间内の情报に頼らざるを得ない学生たちが、自力で情报を得て判断可能となるよう、また情报から取り残される学生が出ないよう、国际センターからは、まず12日午后に、情报源が确かな、多言语対応がなされている関连サイトの学生への周知を开始、さらに大学の震灾関连ページ上で、留学生対応の学内窓口を案内、また大学のメインサイトを见る习惯が日ごろから余りない留学生に対して、学生向けのアナウンスがなされているサイトの存在について、情报拡散を试みた。メールマガジンや、留学生会など、日ごろから国际センターが利用している情报伝达手段が活用できたが、必要とされる情报が刻々と変わる中、情报発信に対して、原则対策本部を経由させる方针が示されたことは、留学生に対しては提供できる情报を制限、また情报の即时提供を困难とした。
その后は、新学期に向けての在留?学务上の问题、放射能の危険性に関する问い合わせが中心となっていくが、同じく、大学としての対応の一元化、学生への情报発信の不备が、留学生の混乱と不安を不必要に増大させた印象が强い。多くの教职员が、最前を尽くして留学生対応に当たったにもかかわらず、课题は非常に多く残った。震灾から既に1年半以上が経过した今、残念ながら、その课题の解决に至るような対応策は示し得ていない。3000人を超える留学生を抱える大学として、その责任を果たし得る体制整备が早急に求められている。
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