东京大学教职员?学生の手记「灾害対策本部要员手记」


東日本大震災 - 东京大学教职员?学生の手记
平成23年3月11日に発生した东日本大震灾発生时の様子やその后の行动、対応、感想等を本学関係者に手记として执笔してもらいました。
灾害対策本部要员手记
本部评価?分析课 篠原 贵士
灾害対策要员の连络があったのは、震灾の翌日3月12日土曜日の昼。前夜、4时间强かけて歩いて帰り、疲れて寝ているところに职场から电话があった。时间がたつにつれ、様々な情报が入ってくるようになり、そんな予感はしていた。闻けば、震灾当日に帰宅できずにいたメンバーが対策本部を立ち上げ、そのまま対応しているとのことで、その日の夕刻からの交代要员を引き受けた。
夕方暖かい恰好をして第2本部栋1阶の会议室へ。引継を受け、本学の被害が想像以上に大きいらしいこと、东北の被灾地方面に复数名の学生がおりその安否がほとんど取れていないことに目の前が暗くなるような衝撃を受けた。さらに、これらの情报が不足している上に错综している。テレビからはどんどん悪いニュースが流れ、ネットには真偽が定かでない情报が飞び交っている。とにかく情报収集と整理をして気づけば朝。このように灾害対策本部の日々が始まった。
週明けの平日(3月14日)からは、通常业务もあり、本部総动员とはいえギリギリの人数で24时间体制のローテーションを回した。朝出勤して、夜は灾害対策本部、仮眠は取ったが翌日そのまま仕事という日もあった。それでも不思议と体がつらかった记忆はない。
今でも当时を思い出して苦しくなるのは、连络が取れない学生のリストがなかなか减らないこと。あせりと祈り。交代要员で本部に行くと、まずホワイトボードに书かれたリストを见ることが习惯になる。安否确认が长期化した最后の数名は、正直最悪の状况も覚悟した。夜中にふいに涙が出ることもあった。最后の1人の无事が确认された时はとにかく安堵した。何に対して感谢すればいいか分からないくらい感谢した。全学生との连络の手段は絶対的に必要だと今でも强く思っている。
救援?復兴支援室遠野分室(岩手県遠野市)の開設にあたり現地視察にも同行した。4月21日遠野市役所訪問。翌日は、釜石、大槌を視察。震災の傷跡生々しく。水は引かず。建物は被災したまま。特に大槌は町のほとんどが泥と瓦礫。町の9割が津波と火事でやられたらしい。自衛隊が懸命の活動を行っているのを心底応援した。大気海洋研究所附属の国際沿岸海洋研究センターも全壊。幸い、センターにいた皆さんは奇跡的に全員助かったとのこと。この体験は大きな転機となった。東大の施設が無残な姿で目の前にあり、東大の仲間が紙一重の状況だったことを聞き、この震災を少なからず当事者として考えられるようになった。大槌にはその後ボランティア活動などで四度ほど足を運んでいる。
この災害対策本部の経験を経て、意外なほどに自分が東大と深くつながっていることと、(普段はほとんど交流がないけれども)学生を非常に大事に思っていることに気づいた。震災があって良かったと言うことは絶対にないが、仕事?组织?生き方に関する非常に重要な思いを持つことはできた。震災の復興までまだ時間はかかる。東大職員人生もまだ時間はある。この思いを細く長く持ち続けて毎日を過ごしていきたい。
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