生きる。ともに ― 東京大学の救援?復兴支援活動のスタンス ―


生きる。ともに ― 東京大学の救援?復兴支援活動のスタンス ―
东日本大震灾の発生から2月あまりが経ちました。震灾?津波そのものの惨祸にくわえて、福岛の原子力発电所の事故による避难生活や不安もまだ続いています。被灾された方々や地域への救援活动はなお継続されなければなりませんし、復兴を目指す国や自治体の计画は未だ途上にあります。
東京大学では「東日本大震災に関する救援?復兴支援室」が、その遠野分室とともに活動を行っています。また、何より大学らしいあり方として、教職員や学生が各個人の思いを込めて、そしてそれぞれの専門性を生かしながら、自発的な救援?復兴支援活動を展開しています。
このような活动にあたって、技术や制度の活用、产业や社会のあり方の模索など、知恵と工夫が重ねられています。その中で、それらを使いこなし、また未来に向けて意味あるものとするバックボーンが、「生きる。ともに」という基本理念であると、私は信じています。
このたびの大震災によって、私たちは、「生きる」ということの意味や価値、重さを、再認識させられました。「生きる」という自然な行為がいかに大変なことなのか、「生きる」ということがどれほど価値あることなのか、私たちは真剣に考えざるをえませんでした。救援?復兴支援の活動はまずこの原点から出発すべきであり、またこのことは、学術の世界にも多くの重要な課題を投げかけています。
「生きる」上で、「ともに」という言叶の大切さを意识させたのも、この大震灾でした。被灾された方々相互の助け合い、被灾された方々や地域への、国内あるいは国外からのさまざまな形での支援を通して、助け合いや人の间のつながりの贵重さが强く意识され浮上してきました。「ともに」という思いと行动がなければ、この惨祸の中で人びとが希望を见出すことは难しかったでしょう。
「ともに」という姿势は、自然との付き合い方においても求められることです。自然とともに生きることは、日本人の伝统的な生活様式とも言われてきました。また最近では、世界的に、サステイナビリティという観点から人と自然との関係を考える动きも広がっています。このたびの大震灾の惨祸を、ただ自然の力の凄まじさには胜てないと総括するのではなく、自然とともに生きる人间や社会や技术のあり方をもう一度突き詰めて考え抜くことが、地域の復兴と日本の再生につながるはずです。
振り返ってみれば、この间私たちは、「生きる。ともに」ということを、空気のように当然そこにあるものと受け取ってきました。しかし、その足元で、経済的?社会的あるいは地域的?世代的な格差の拡大に象徴されるように、社会の构造としても人びとの意识としても、この理念の空洞化が进んでいました。それが、いまの时代の闭塞感を生んでいるように思います。あるいは、自然との付き合い方にしても、あまりにも无顿着であったかもしれません。このたびの大震灾から復兴するために必要な课题として掲げられているものも、実は少なからずが、大震灾以前より私たちがもっと取组むべきであったはずの课题です。
「生きる」ということは、最低限の生活を営むというにとどまらず、自らの力を最大限に発挥し、より大きな幸福を追い求めるということでもあります。そこでは时に厳しい竞争も生じますが、これは、ある意味で人间や社会の本质であり、活力の源です。その本质が、「ともに」という原理と対立するのではなく、むしろ共鸣し合う时に、文明として一段阶进んだ时代が生み出されるはずです。それが、これからの地域の復兴に、また日本の再生に求められていることです。
「生きる。ともに」という理念は、家庭から地域、そして组织や国家、さらには国際関係に至るまで、さまざまな行動原理や组织原理を導き出していくでしょう。そこに、大学の学術がかかわるべきさまざまな課題が存在しています。大学において行われている教育や研究の意味、また、教育や研究の方法も、この理念との格闘を求められることと思います。この理念への思いが、大震災後の一過的なものにとどまるのではなく、未来に向けて私たちの行動を支え、明日の社会を構成していく動機として、働き続けることを願っています。
この意味で、大震灾からの復兴は、日本全体の活力の再生とも重なり合う取组みとなります。そこでは、元気のよい掛け声だけでなく、长い期间にわたり持続的に人びとの意识を変え、社会の构造を改革していく地道な取组みが求められます。「生きる。ともに」は、それぞれが胜手に生きることよりも、手间のかかるプロセスです。復兴は何よりもまず、被灾された方々が今を生きるために必要としている事柄を优先させる、人びとの気持ちに寄り添った取组みであることを求められます。そうした取组みを重ねる中で新しい社会を创造するチャレンジを行っていくのが、復兴のあるべき姿です。
「生きる。ともに」という理念をいかに実现するかを考えるのは、私たち一人ひとりに突きつけられた课题です。一人ひとりが自ら考え、ともに议论をし、気持ちを通い合わせる中から、「生きる。ともに」の感覚と意识と覚悟が共通に确认され、私的であれ公的であれ、私たちの日々の行动における伦理や作法が见えてくるはずです。そして、そこから、これからの时代を形作る生活のスタイル、社会の仕组み、用いる技术などの姿が醸し出されてくるでしょう。
この「生きる。ともに」を目指す未来へのプロセスに、真理を追い求める学術の立場から、また国際的な視野を持ちながら、幅広くかつ深く関わり合うことが、大震災後の大学の重要な役割です。被災された方々や地域への救援?復兴支援活動を継続していく中で、あらためて自らの姿勢を問い直しつつ、「生きる。ともに」を理念とする社会に向けた知恵や工夫を知の蓄積の中から手繰りだし、必要なイノベーションを大胆に行い、そして、そうした活動をたくましく担う人材を育成し続けることが、東京大学に与えられた大きな使命です。
東京大学では「東日本大震災に関する救援?復兴支援室」が、その遠野分室とともに活動を行っています。また、何より大学らしいあり方として、教職員や学生が各個人の思いを込めて、そしてそれぞれの専門性を生かしながら、自発的な救援?復兴支援活動を展開しています。
このような活动にあたって、技术や制度の活用、产业や社会のあり方の模索など、知恵と工夫が重ねられています。その中で、それらを使いこなし、また未来に向けて意味あるものとするバックボーンが、「生きる。ともに」という基本理念であると、私は信じています。
このたびの大震災によって、私たちは、「生きる」ということの意味や価値、重さを、再認識させられました。「生きる」という自然な行為がいかに大変なことなのか、「生きる」ということがどれほど価値あることなのか、私たちは真剣に考えざるをえませんでした。救援?復兴支援の活動はまずこの原点から出発すべきであり、またこのことは、学術の世界にも多くの重要な課題を投げかけています。
「生きる」上で、「ともに」という言叶の大切さを意识させたのも、この大震灾でした。被灾された方々相互の助け合い、被灾された方々や地域への、国内あるいは国外からのさまざまな形での支援を通して、助け合いや人の间のつながりの贵重さが强く意识され浮上してきました。「ともに」という思いと行动がなければ、この惨祸の中で人びとが希望を见出すことは难しかったでしょう。
「ともに」という姿势は、自然との付き合い方においても求められることです。自然とともに生きることは、日本人の伝统的な生活様式とも言われてきました。また最近では、世界的に、サステイナビリティという観点から人と自然との関係を考える动きも広がっています。このたびの大震灾の惨祸を、ただ自然の力の凄まじさには胜てないと総括するのではなく、自然とともに生きる人间や社会や技术のあり方をもう一度突き詰めて考え抜くことが、地域の復兴と日本の再生につながるはずです。
振り返ってみれば、この间私たちは、「生きる。ともに」ということを、空気のように当然そこにあるものと受け取ってきました。しかし、その足元で、経済的?社会的あるいは地域的?世代的な格差の拡大に象徴されるように、社会の构造としても人びとの意识としても、この理念の空洞化が进んでいました。それが、いまの时代の闭塞感を生んでいるように思います。あるいは、自然との付き合い方にしても、あまりにも无顿着であったかもしれません。このたびの大震灾から復兴するために必要な课题として掲げられているものも、実は少なからずが、大震灾以前より私たちがもっと取组むべきであったはずの课题です。
「生きる」ということは、最低限の生活を営むというにとどまらず、自らの力を最大限に発挥し、より大きな幸福を追い求めるということでもあります。そこでは时に厳しい竞争も生じますが、これは、ある意味で人间や社会の本质であり、活力の源です。その本质が、「ともに」という原理と対立するのではなく、むしろ共鸣し合う时に、文明として一段阶进んだ时代が生み出されるはずです。それが、これからの地域の復兴に、また日本の再生に求められていることです。
「生きる。ともに」という理念は、家庭から地域、そして组织や国家、さらには国際関係に至るまで、さまざまな行動原理や组织原理を導き出していくでしょう。そこに、大学の学術がかかわるべきさまざまな課題が存在しています。大学において行われている教育や研究の意味、また、教育や研究の方法も、この理念との格闘を求められることと思います。この理念への思いが、大震災後の一過的なものにとどまるのではなく、未来に向けて私たちの行動を支え、明日の社会を構成していく動機として、働き続けることを願っています。
この意味で、大震灾からの復兴は、日本全体の活力の再生とも重なり合う取组みとなります。そこでは、元気のよい掛け声だけでなく、长い期间にわたり持続的に人びとの意识を変え、社会の构造を改革していく地道な取组みが求められます。「生きる。ともに」は、それぞれが胜手に生きることよりも、手间のかかるプロセスです。復兴は何よりもまず、被灾された方々が今を生きるために必要としている事柄を优先させる、人びとの気持ちに寄り添った取组みであることを求められます。そうした取组みを重ねる中で新しい社会を创造するチャレンジを行っていくのが、復兴のあるべき姿です。
「生きる。ともに」という理念をいかに実现するかを考えるのは、私たち一人ひとりに突きつけられた课题です。一人ひとりが自ら考え、ともに议论をし、気持ちを通い合わせる中から、「生きる。ともに」の感覚と意识と覚悟が共通に确认され、私的であれ公的であれ、私たちの日々の行动における伦理や作法が见えてくるはずです。そして、そこから、これからの时代を形作る生活のスタイル、社会の仕组み、用いる技术などの姿が醸し出されてくるでしょう。
この「生きる。ともに」を目指す未来へのプロセスに、真理を追い求める学術の立場から、また国際的な視野を持ちながら、幅広くかつ深く関わり合うことが、大震災後の大学の重要な役割です。被災された方々や地域への救援?復兴支援活動を継続していく中で、あらためて自らの姿勢を問い直しつつ、「生きる。ともに」を理念とする社会に向けた知恵や工夫を知の蓄積の中から手繰りだし、必要なイノベーションを大胆に行い、そして、そうした活動をたくましく担う人材を育成し続けることが、東京大学に与えられた大きな使命です。
平成23年5月20日
东京大学総长 滨田 纯一
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