500彩票网

ひょうたん岛通信 第10回「ウミガメ研究のメッカ」ほか

ひょうたん岛通信 第10回

 岩手県大槌町の大気海洋研究所附属国际沿岸海洋研究センターのすぐ目の前に、蓬莱(ほうらい)岛という小さな岛があります。井上ひさしの人形剧「ひょっこりひょうたん岛」のモデルともされるこの岛は、「ひょうたん岛」の爱称で大槌町の人々に亲しまれてきました。ひょうたん岛から毎月、沿岸センターと大槌町の復兴の様子をお届けします。

「ひょうたん岛通信 第10回」は、东京大学学内広报NO.1430 (2012.10.25)に掲載されたものです。

ウミガメ研究のメッカ

佐藤 克文(大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター 准教授)

 2004年の3月、私は准教授として岩手県大槌町に赴任した。

「时々ウミガメが定置网にかかる」という噂を小耳に挟み、早速近所の渔师に「ウミガメが捕れたら是非ともご连络を」とお愿いして回った。しかし、结局连络は来なかった。

翌年、1人の女子大学院生が入学してきたので、私は彼女を渔师の元に差し向けた。すると、その年アカウミガメ6头とアオウミガメ1头を入手できた。「ウミガメを研究している东大の姉ちゃんがいる」という噂が渔师の间に広まるにつれて、入手できる亀は増え、2009年までに、一夏に50头以上の亀を生きた状态で集めるシステムが完成した。

各种ハイテク机器を使ったバイオロギング研究が进み、彼女は无事に学位を取得した。彼女につづいて亀をテーマに研究を进める女子学生が大学院に入学し、国内外から何人ものウミガメ研究者が大槌にやって来た。

ウミガメ研究の99%は、产卵のために砂浜に上陆してくる成体雌や孵化幼体を対象としており、雄や亜成体、あるいは产卵场周辺以外の生态についてはほとんど研究例がない。产卵场から500办尘以上も离れ、雄や亜成体をコンスタントに入手でき、时々クロウミガメやオサガメまで得られるフィールドは世界的に见ても极めて贵重な存在だ。

全てが顺调に进んでいた矢先、あの津波が全ての定置网を破壊した。结局、2011年は渔师からの连络はなかった。

今年に入り定置网渔业もだいぶ復活してきたので、早速渔师の元を访れると、相変わらず私の名前は覚えていなかったが、「亀の姉ちゃんどうなった?」と全员が気にかけている。

そこで、博士研究员になった彼女と新人大学院生を大槌に送り込んだ。その结果、今年はアカウミガメ2头、アオウミガメ5头を入手できた(9月21日现在)。「东大のウミガメ姉ちゃんが戻ってきた」という噂は既に大槌町周辺に広まっている。

数年后に沿岸センターが再建されるころ、ウミガメ研究のメッカが復活しているはずだ。


2011年7月、釜石市室浜の瓦砾脇でアカウミガメの剥製を発见。周辺海域で捕获された个体を渔师が剥製にしてはみたものの今ひとつ美しくない。押し入れの奥にしまい込まれていたのが津波で流れ出たのではないかと想像している。甲长50肠尘台のアカウミガメの学术的価値が分かる人间はおそらく日本に5人くらいしかいない。その1人に见つかったのもまた运命か。



【かわべコラム】

湧水のまち?大槌―Rock Me on the Water―

(かわべコラム)国际沿岸海洋研究センター専门职员?川辺幸一です。2月から大槌町勤务に戻りました。釜石市から提供を受けた仮设住宅に住み、そこから大槌町中央公民馆内にある復兴準备室に通勤しています。


旧大槌町役场脇にある御社地涌水。震灾前から地域住民の饮料水等生活用水として利用されてきた。

 町の様々な场所から震灾后も変わらずにこんこんと涌き出る清凉な水。

  右の写真は旧大槌町役場脇にある町の指定史跡だった御社地湧水。江戸中期に仏教者?菊池祖睛が諸国遍歴の修行の際、九州大宰府(天神社)の分霊を奉持して帰り、当地に祀った所から御社地と名付けられたものです。

  大槌町といえば「海」というのが第一印象かもしれませんが、豊富な湧水の町としても有名なのです。

  震災前より町民の暮らしに利用されてきたこの湧水。震災後にも避難所となった赤浜小学校の校庭に井戸を掘り、生活用水として活用されたこともありました。沿岸センターでも自前の井戸を持っており(現在、復旧作業中)、この湧水が川(淡水)に関する調査?研究で欠かすことの出来ない重要な役割を果たしてきました。

  自然豊かな大槌町を象徴する湧水。この豊かな湧水が町の復興再生に一役買うのではと思っています。 

*****

「ひょうたん岛通信」第10回
制作: 広报室
掲载: 东京大学学内広报 NO.1430 (2012.10.25)

*****


カテゴリナビ
アクセス?キャンパスマップ
闭じる
柏キャンパス
闭じる
本郷キャンパス
闭じる
驹场キャンパス
闭じる