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人の絆、组织の絆-「絆」を明日へ-

「人の絆、组织の絆-「絆」を明日へ-」

 本日は、この「东日本大震灾?后方支援の集い」にお招きをいただき有难うございます。
 あの东日本大震灾から1年あまりが过ぎました。この机会に改めて、亡くなった多くの皆さまに哀悼の思いを捧げるとともに、いまなお行方不明の皆さまが一日も早く见つかりますことを愿っております。また、厳しい避难生活を余仪なくされていらっしゃる皆さま方に、心よりお见舞いを申し上げます。
 今日ここにおいでの皆さま方には、3.11以降1年の间、この远野市を拠点として、被灾地への支援にそれぞれのお立场で大変なご尽力をいただきました。心からの敬意を表したいと思います。
 1年を経ても被灾地では復兴がまだなかなか进んでいないことは、大変もどかしく感じます。たしかに建物一轩を立て直すというのとは异なって、街并みを再建し、产业を復兴し、またコミュニティを再生していくというのは、大変な事业であることは间违いありません。后方支援活动も、息长く取组んでいかなければならないものと、この机会に気持ちを新たにしております。

 そうした长い取组みを、一つには私たちの<心の持ちよう>として、またもう一つには<社会の仕组み>として、支えていくのが、「绊」であると思います。この「绊」という言叶は、皆さまご承知のように、この大震灾の后、よく取り上げられてきた言叶です。现代社会では人びとの関係が疎远になりつつあり、かつての共同体的な人びとの间の结び付きが地域でも家庭でも薄れてきていると言われている时に、改めてこの「绊」ということが、おそらくは人びとの心の内から绞り出される言叶として呼び起こされたということであったと思います。それは、大震灾によって、人のつながりも、家や物も、身体も心も打ち砕かれている时に、物心両面にわたって人びとを支えてくれた言叶であったと思います。
 こうした「绊」という言叶は、被灾地の方々にとっての支えになっただけではありません。被灾地から远く离れた场所、たとえば东京に住んでいる私たちにとっても、「绊」というのは頼りとする言叶となりました。たしかに东京の方は东日本大震灾による被害は比较的少なかったのですが、すさまじい津波などの被害をテレビで目のあたりにする私たちの心は言い知れぬ不安で一杯でした。また、被灾された皆さんのために私たちが何をできるのだろうかという切実な思いで一杯になりました。そうした不安を支え、また被灾された皆さんへの思いを表してくれたのが、「绊」という言叶でした。
 その意味で、「绊」というのは、大震灾后の日本の社会全体を支え続けてくれた、间违いなく大切な言叶であったと思います。

 この言叶がこれからも长く色あせることなく、私たちが被灾地の復兴に向かって力を注いでいく中で生き続けて行くこと、さらには、この「绊」というものがより広く、これからの新しい日本の社会を支える心として、あるいは社会の仕组みとして生かされていくことが、とても重要であると思います。
 今日このように、遠野市を拠点として救援と復興にご活躍いただいてきた皆さまが、再びここに集まっていらっしゃるということは、これまでの「絆」が果たした役割をもう一度確認するとともに、この「絆」を明日に向けてさらに強めていこうという気持ちを固める機会でもあると思っています。そのような思いで、今日これから少し時間をいただいて、「人の絆、组织の絆―「絆」を明日へ―」というテーマでお話申し上げようと思います。

 私自身が、言叶としてだけではなく、実感として、この「绊」というものを受け止めたのは、昨年4月に初めてこの远野にうかがった时のことでした。被灾した市役所本庁舎の伤跡もまだ生々しい中で、庁舎内の壁上方一面に、沿岸地域の支援に向けた远野市の时々刻々の动きについて、模造纸に手书きの记録が贴られていました。また、震灾后もう1月近く経とうとしているのに、庁舎の中は、职员の皆さんにくわえて、おそらく今日おいでの皆さまも方も含めて、支援の方々でごったがえしており、人びとが激しく动きまわっていました。そして、その中で、紧张感とともに不思议な温かさ、人が自然に持つ一种の「热さ」が充満していることも感じました。これが、「绊」というものを、理屈ではなく感覚で受け止めた瞬间でした。

 その折に、本田敏秋市长からも、沿岸地域の支援に向けた强い思いをうかがいました。远野市を、沿岸被灾地域に対する「后方支援拠点」として位置付けていらっしゃることも知りました。それにしても、自らも震灾によって激しい被害を受けながら、本田市长をはじめとする市职员の皆さん、さらには市民のボランティアの皆さん方が、长期にわたることを覚悟しながら活発な支援活动を行っていらっしゃることには、なみなみならぬ思いを感じました。
 大震灾后、沿岸地域に向けた自卫队や自治体などの、あるいは公司の皆さんや多くのボランティアの活动拠点としてこの远野市が机能してきているのは、たんに地理的位置や、后方支援拠点としての行政的な位置づけだけでなく、まさしく「「縁」が结ぶ復兴への『绊』」という强い思いを、远野市の皆さん方が持っていらしたからだろうと思います。沿岸地域に支援に向かおうとする者が、たんに便利さ以上に、心から信頼して頼りにできるものが、この远野の町にあったということです。
 東京大学も、大槌や釜石、あるいは陸前高田など沿岸地域への支援の拠点として、この遠野市を活用させていただいています。市のご配慮によって、市庁舎の中に私たちの救援?復兴支援室の分室を置かせていただいており、また、市庁舎の後ろの駐車場をお借りして、東京大学からのボランティア学生、教職員が宿泊も含めて活動を継続できる建物を設けています。こうした便宜を図って頂いていることで、沿岸地域への支援にどれだけ役だっているか、言葉では言い尽くせないものがあります。

 あの大震災から1年が経ったいま、私が改めて大切だと考えているのは、さきほども申し上げたように、こうした「絆」に支えられた思いや仕組みを一時的なものとせずに、どれだけ持続させていくことができるか、ということです。別の言い方をすれば、災害が発生する以前の普段の生活の中で、こうした「絆」をどれだけしっかりと日常的なものとしておくことが出来るのか、ということです。残念ながら、この日本という国では、どの地域であれ、自然災害から絶対に安全というところはありません。日本全国どこへ行っても、歴史の中で災害の記憶を聞かないことは稀です。そうした意味では、「絆」への共感が生み出され、また「絆」の必要性を実感することについての条件は備わっているはずです。こうした「絆」への思いを私たちの意識?心の中で持続させ、また具体的な社会の仕組みに結び付けていくために、「人の絆」と「组织の絆」の双方を考えておく必要があるように思います。

 東京大学では、東日本大震災の発生直後の時期、被災地への救援?復兴支援活動を行う時に、いわば「両構え」、「両輪」の態勢をとりました。一つは、個人一人ひとりの思いからほとばしる自主的なボランティア活動を大切にするということ、もう一つは、组织的な支援体制を整えるということです。组织的な支援ということでは、私たち大学のように教育研究を日常の業務としている组织の場合、緊急的な医療や物資の支援を別にすれば、災害時の初動が難しいところがあります。私も、大震災の発生を受けて大学として早く支援に動かなければと焦りながら、まずとにかくは、教員、職員、学生の個々のボランティアの動きにお願いするしかないと思いました。他方、少し時間を得て態勢が整えば、ボランティア活動に対するものを含めて组织としての支援は、持続性やボリュームの面で大きな効果を発揮します。こうして、震災直後は、この個人的な動きと组织的な動きの両輪で動く、という形で対応することになったのですが、時間が経ったいまでは、双方の活動はかなり融合してきて進むようになっています。

 こうした経験を踏まえながら、今後も復兴支援活動を力強く継続していくためには、このように人の思いと组织の思いの双方、人の絆と组织の絆の双方をしっかり組み合わせて展開していく必要があると考えています。
 人の思い、人の绊はあらゆる支援活动の出発点となるものです。ただあえて冷静な言い方をしますと、时间が経つにつれて人の心が移ろい行くことも生じてきます。震灾の后しばらくは、被灾地から远い地域に住む人も同じように心を痛める思いに支えられていた「绊」であっても、时が経つにつれて、なかなか復兴が进まない被灾地の人びとの思いと远隔地の人びとの思いとの间に距离が出てくる场合があることも事実です。あるいは、被灾された地域の中でも、たとえば地域再建の具体的なあり方となると、被灾直后のような「绊」が必ずしも保てないという场面も出てきます。

 私が思いますのは、こうした時こそ「组织の絆」の出番だということです。自治体などの组织や団体が持っている、絆を作り持続させる力は、個人の思いの弱まりや人びとの絆のゆらぎを、取り戻させる力、再び呼び起こす力があります。また自治体の間の絆、あるいは自治体とさまざまな组织?団体との間の絆といった「组织の絆」は、作るのには時間がかかりますが、一旦出来れば、長い期間にわたって取組みを継続していくために、大きな力となります。人の思いや人の絆を支え励まし続けることができる、いわば「絆を日常化する」ために大きな役割を果たすのが、「组织の絆」です。
 もちろん、「组织の絆」といっても、何よりまずは個人一人ひとりの絆への思いが強くないと作ることは出来ません。私が申し上げたいのは、これから長きにわたって、被災地に対する支援を持続的に展開していくためには、人の絆と组织の絆の、この双方の絆が互いに強めあっていくことが重要だということです。

 「组织の絆」ということを考えてみる時に、例えば自治体というのは文字通りは「自ら治める」ということですが、いまの時代のように複雑化した時代において、単独で日々やっていけるわけはありません。まして、自然災害のような緊急的な事態においてはなおさらです。そうした意識を持つ自治体、同じ思いを持つ自治体が他の自治体と、あるいはさまざまな组织?団体と手を携えて、それぞれの強みを生かし、また弱みを補い合いながら、難しい課題に取組んでいくという必要性は、ますます大きなものになってきています。今日の話の冒頭で、いまの社会では、人びとの関係が疎遠になり薄れつつあると言われていることに触れましたが、実は、いまの時代こそ、「絆」を強めることを必要不可欠なものとしているのだと思います。
 「一人では出来ない」というと、それは、つい「弱さ」と受け取られがちかもしれませんが、そうではありません。「一人では出来ない」という思いは、むしろ「強さ」を生み出す、他者との「絆」を求めることによって「強さ」を生み出す、大切なきっかけとなるはずです。このたびの大震災をきっかけに意識されることになった「絆」というものは、ただ大震災後の一時の流行語ということではなく、これから長きにわたる復興活動をとことん支え続ける言葉であってもらいたい、さらに言えば、厳しい状況に置かれているこの日本社会の活力を再生していくために、さまざまな場面で人や组织のつながりを生み出し後押しする言葉であってほしい、と思います。今日のこの場が、大震災後に作られた「絆」を、明日へ向かってさらに強めていく、新しいスタートの場となり、「復興元年」を象徴する場となればと願っています。

 「「縁」が结ぶ復兴への『绊』」という言叶を掲げ、そして全力を挙げてこの言叶を実践してこられている远野市の皆さまに、もう一度敬意と感谢の言叶を申し上げて、私の话を闭じさせていただきます。ご清聴有难うございました。

2012年3月18日
远野市主催「东日本大震灾?后方支援の集い~『縁』が结ぶ復兴への『绊』~」滨田纯一総长讲演

 

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