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令和4年度东京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様)

令和4年度东京大学学部入学式 祝辞

多くの困難を乗り越えて、この度の東京大学へのご入学、誠におめでとうございます。 この約2年の間、コロナという未知のウイルスによって皆さんの日常が昨日までとは全く違う現実を余儀なくされることになりました。そんな中で今日という日を迎えられましたこと、大変悦ばしい時間を今、この瞬間、噛み締めておられるのではないでしょうか?
 今日は、手放しでその喜びを全身に受けて、お过ごしください。
 さて、そうはいっても、明日からの日々は、その喜ばしさに胡座(あぐら)をかいているわけにはいきません。かつてカンヌで、その年世界で一番これからを期待される新人に赠られる赏を受赏した时、フランス人の担当者が私に同じようなことを言ってくれました。今日はこのトロフィーを掲げて、大いに喜んでいればいい。けれども明日からはまた0から出発する。赏の上に胡座をかいていては、それ以上の成长はないのだと理解しました。

私は今年53歳になります。30年ほど先に生まれて、昭和、平成、令和の时代を生きてきました。この30年の人间社会の変化は凄まじいものでした。その関係の结ばれ方&丑别濒濒颈辫;とでもいいましょうか。ここで多くを语ることはしませんが、常识が覆されることの连続。かつてあった常识のどこを守り、どこを変えて生きてゆくのが最善であるのか、常に葛藤の中にありました。しかし、振り返ってみれば、守るべきものの継承は自身のルーツに大きく指针を得ていたことに気づきます。私の场合、生まれる前に両亲が别居状态に入ったことにより、生まれてすぐに子供のいない初老の夫妇のもとに养女にもらわれ、育ちました。戦争を知っている彼らの生活は质素でしたが、谦虚であり、昇りくる太阳に感谢し、街角の石仏に手を合わせて祈りを捧げる。つまり「目に见えないもの」への感谢を欠かせない时代の人たちの暮らし。それを体现して育ちました。

あなた方と同じ年代の顷、私は「映像」に出逢います。そこで、8ミリフィルムカメラを手にし、街に自らを放り出すのです。初めてそれを手にした日のことは今でも鲜明に覚えています。この手の中でカタカタと音を立てて掻き落とされてゆくフィルムに、ファインダーから覗いた现実世界が焼き付いていくのを感じていました。昭和の终わり顷の光景。この角を曲がれば何が私を待っているのだろう。それは、まるで玩具箱をひっくり返したようにワクワクが止まらない。见るもののすべてを意识し、记忆に残したいと思った出来事でした。きっと私はあの时、なぜ自分がこの世界に诞生したのかを、悟ったのだと想います。それは、精神の诞生日ともいうべき、肉体の诞生から18年経ってようやく辿り着いた「実感」だったのです。皆さんにその「実感」は宿っているでしょうか?当たり前に思っていることの奥に「ものの真理」が隠されていることを信じて、突き进んでください。きっとこの先その真理に出会った时、世界に「名前」があることに感动を覚えるはずです。嘆くことなかれ。まだ见えていない世界との出会いは始まったばかり。この云は次の瞬间どのように形を変えていくのだろう&丑别濒濒颈辫;と思うなら、その探究心こそがあなたの力です。ああ、なんて世界はすばらしいんだろう、この一瞬一瞬を永远に刻みたい。と、私は、あの时、想いました。こぼれおちた过去に再び光を当てる魔法、映画の神様が私に舞い降りた瞬间の出来事です。

さて、私が皆さんと同じ歳だった顷、世界への扉はまだ少なく、开くことのできる窓も今よりは限られていました。ですから私が映像に出会った时、まるで乾いたスポンジが水を吸収するかのように、それに梦中になり、他のことには殆ど见向きもしない时间を过ごすことができました。しかし私も含め、平成、令和の时代の今、一つのことに集中して取り组むことがいかに困难か。私たちの周りにはとてもたくさんの「情报」が手に入り出しました。そしてその「情报」は瞬时に目の前にやってきて、そして次の瞬间には过去になっている。つまり扉は无限に私たちの目の前に広がりました。そのどれをとっても魅力的であり、どの道に进んでもまた别の道がある。というように、あなたの未来にいくつもの可能性を示唆してくれるようになりました。けれど、それは大きな罠でもあったようです。ある映画人が私にこんなことを教えてくれました。たった一つの窓をずっと见つめ続けてください。若い世代には特にそのことがとても大切であることを忘れないでください。そのたった一つの窓から见える光景を深く考察してみてください。そうすればその窓の向こうにある「世界」とつながることができる。私はその言叶を顶いたときにとてもハッとしたことをよく覚えています。なぜなら、自分の部屋から见える窓の向こうの景色には「真理」が隠されているのです。そしてその「真理」を知ることで、结果的に世界中の人との出会いを豊かにします。それは他でもない自らの言叶でその真理を伝えることのできる自分でいられるからです。これこそがオリジナリティであり、他の人には真似のできない唯一无二のものとなります。

私の地元奈良の东大寺は华厳宗のお寺ですが、华厳の思想はこうした小さいものの中に无限の宇宙を见ることを説いています。一つの窓を见つめ続け生み出された一滴が、私の「世界の切り撮り方」として他の人たちの目に触れます。逆にいうと、それ以外のことから谁も判断してはくれません。だからこそ、小さくても自らのまなざしを获得することはとても大切なのです。

今、世界はあるひとつのバランスを失って、かけがえのない命が夺われる现実を见ることとなりました。「戦争」を世界から无くしたい。その想いは映画を撮り始め、世界で上映される机会が増えた顷に愿った気持ちでした。しかし、ひとつの映画で戦争は无くなりません。残念ながら、世界は小さな言叶を闻いてくれません。そう思わざるを得ない出来事が起こっています。
 先ごろ、世界遗产の金峯山寺というお寺の管长様と対话する机会を得ました。本堂蔵王堂には、山から伐ってきたままの大きな树の柱が御堂を支えています。それらの树は全て违う种类で、それはまるで森の中に自らが存在しているかのような心地になるとのことでした。なるほどその存在を确かめてみると、それぞれの柱がそれぞれの役割でそこにあって、どれひとつとして何かと比べられることなく、そこにきちんと自らの役割を全うしているようです。この世界観、精神性が今の自分に大きな希望を与えました。元来、宗教や教育の现场には、こういった思想があり、それを次の世代の人たちに伝える大切な役割があるのでしょう。あなたが今日ここにあって、明日から、かの大木の柱のように、しっかりと何かを支え、しっかりと何かであり続ける人であってほしいと愿います。また、この管长さんが蔵王堂を去る间际にそっとつぶやいた言叶を私は逃しませんでした。

「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとんや」

金峯山寺には役行者様が鬼を諭して弟子にし、その后も大峰の深い山を共に修行をして歩いた歴史が残っています。节分には「福はウチ、鬼もウチ」という掛け声で、鬼を外へ追いやらないのです。この考え方を千年以上続けている吉野の山深い里の人々の精神性に改めて敬意を抱いています。
 管长様にこの言叶の真意を问うた訳ではないので、これは私の感じ方に过ぎないと思って闻いてください。管长様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?例えば「ロシア」という国を悪者にすることは简単である。けれどもその国の正义がウクライナの正义とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な侧からの意见に左右されてものの本质を见误ってはいないだろうか?误解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人间は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを选択したいと想います。

私があなたと同じ歳の顷、养母である「おばあちゃん」を撮っているとどうしようもなく彼女に触れてみたくなりました。8ミリをまわしながら私は彼女の頬に触れてみました。その时、私の中に2人の自分が存在していました。冷静に世界を见つめる客観的な私と、おばあちゃんの肌触りを直接感じている主観的な私です。このふたつの存在、主観と客観を持つことこそが、表现者たる资质を获得することに他ならないと感じていました。その感覚を手に入れた私は、そのあとファインダーを覗いてフィルムカメラのシャッターを押しながら见えるものの固有名词を叫び始めます。「空」「云」「犬」「えんどう豆」「おばあちゃん!」こうして私は世界を存在させてゆきました。名前をつけるということは、世界にそれらを存在させるということだったのです。あれから30年近くが过ぎ、今日、あなたとの时间を共有している自分がここにいます。そして「河瀨直美」という名前を持って、あなたに认识してもらっているなら幸いです。

さて、あなたが今いる场所にはどんな光景が见られますか?
 あなたのまなざしは、何を见て、何を描いてゆくのでしょう。
 その未来は明るいですか?
 この自由な学びの场で存分に生きてください。これからたくさんの人に出会い、たくさんの本を読み、様々なことに挑戦していくのでしょう。见た景色、闻こえた音、匂い、味、肌触り、そこから生まれた感情を大切に、どれだけ小さかろうとあなた自身の想像力をもって真理を见つけるたった一つの窓の存在を确かめてください。どこまでも美しいこの世界を自由に生きることの苦悩と魅力を存分に楽しんでください。

この度はご入学おめでとうございます。

令和4年4月12日
映画作家
河瀨 直美

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