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一般ニュース

部局長の交代

 平成24年4月1オ」付で、ムケ記のとおり部局長の交代がありスワした。新部局長をご紹介するとともユ、退任された部局長のご挨拶を掲載しスワす。


新部局長紹介

大学院法学政治学ムー究科長・法学部長
山口 厚 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成26年3月31オ」)

昭和51年3月 本学法学部卒業
昭和51年4月 本学法学部助手
昭和54年7月 本学法学部助教授
平成4年8月 本学大学院法学政治学ムー究科教授
ヌソ属:法学政治学ムー究科法曹養成専攻
専門分野:刑法
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)山口厚『刑法キ゚論[第2版]』有斐閣,2007年.
2)山口厚『刑法各論[第2版]』有斐閣,2011年.
3)山口厚『刑法[第2版]』有斐閣,2011年.

大学院工学系ムー究科長・工学部長
原田 昇 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成26年3月31オ」)

昭和52年3月 名ス屋大学工学部卒業
昭和54年3月 本学大学院工学系ムー究科都市工学専攻修士ハル程修了
昭和58年3月 本学大学院工学系ムー究科都市工学専攻博士ハル程修了
平成11年1月 本学大学院新領域モヌ成科学ムー究科教授
平成17年4月 本学大学院工学系ムー究科教授
ヌソ属:工学系ムー究科 都市工学専攻
専門分野:都市交通計画
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)新谷洋二編著『都市交通計画(第二版)』技報堂,2003.4(原田昇「第6 章 都市交通の予測と計画」:81-110)
2)交通工学研究会・交通まちづくり研究会(代表:原田昇)編著『交通まちづくり :世界の都市と日本の都市に学ぶ』交通工学研究,2006.05,240 頁.
3)T. Kidokoro, N. Harata (eds.)., Sustainable CityRegions: Space, Place and Governance (cSUR-UT:Library for SUR 7), Springer, 2008. 03, pp.334.

大学院カー学系ムー究科長・カー学部長
相原 博昭 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成26年3月31オ」)

昭和53年3月 本学カー学部物カー学科卒業
昭和55年3月 本学大学院カー学系ムー究科物カー学専攻修士ハル程修了
昭和59年3月 本学大学院カー学系ムー究科物カー学専攻博士ハル程修了
平成7年10月 本学大学院カー学系ムー究科助教授
平成15年4月 本学大学院カー学系ムー究科教授
ヌソ属:カー学系ムー究科 物カー学専攻
専門分野:高エネルギー素粒子物カー学
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)相原博昭『素粒子の物カー』ヌタ京大学出版会,2006年.
2)相原博昭 他(共著)『素粒子物カー学ハンドブック』朝倉書店,2010年.
3)K. Abe, N.Abgrall, Y.Ajima, H.Aihara et al. [T2K Collaboration ]. “Indication of Electron Neutrino Appearance from an Accelerator-produced Off-axis Muon Neutrino Beam.” Physical Review Letters, 107 (2011) : 041801.

大学院薬学系ムー究科長・薬学部長
堅田 利明 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成26年3月31オ」)

昭和49年3月 北海道大学薬学部卒業
昭和49年4月 北海道大学薬学部教務職員
昭和54年9月 薬学博士(北海道大学)
昭和59年9月 北海道大学薬学部助手
昭和62年6月 ヌタ京工業大学カー学部助教授
平成元年10月 ヌタ京工業大学カー学部教授
平成2年6月 ヌタ京工業大学生命カー工学部教授(ノ纈u換)
平成5年7月 本学薬学部教授(ノ纈u換)
平成9年4月 本学大学院薬学系ムー究科教授(ノ纈u換)
ヌソ属:薬学系ムー究科 薬科学専攻
専門分野:生カー化学、生物化学
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)Nakae I, Fujino T, Kobayashi T, Sasaki A, Kikko Y, Fukuyama M, Gengyo-Ando K, Mitani S, Kontani K, Katada T. “The Arf-like GTPase Arl8 mediates delivery of endocytosed macromolecules to lysosomes in Caenorhabditis elegans.” Mol. Biol. Cell 21 (2010) :2434-2442.
2)Hoshino S, Imai M, Kobayashi T, Uchida N, Katada T. “The eukaryotic polypeptide chain releasing factor (eRF3/GSPT) carrying the translation termination signal to the 3'-poly (A) tail of mRNA: Direct association of eRF3/GSPT with polyadenylatebinding protein.” J. Biol. Chem. 274 (1999) : 16677-16680.
3)Katada T, Ui M. “Direct modification of the membrane adenylate cyclase system by isletactivating protein due to ADP-ribosylation of a membrane protein.” Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 79 (1982) : 3129-3133.

大学院数カー科学ムー究科長
坪井 俊 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成26年3月31オ」)

昭和51年3月 本学カー学部卒業
昭和53年3月 本学大学院カー学系ムー究科 数学専門ハル程修士ハル程修了
昭和53年4月 本学カー学部助手
昭和60年4月 本学教養学部助教授
昭和62年10月 本学カー学部助教授
平成4年4月 本学大学院数カー科学ムー究科助教授
平成5年10月 本学大学院数カー科学ムー究科教授
ヌソ属:数カー科学ムー究科 数カー科学専攻
専門分野:位相幾何学
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)Takashi Tsuboi. “On the foliated products of class C1.” Annals of Mathematics, 130 (1989) : 227-271.
2)Takashi Tsuboi. “On the group of real analytic diffeomorphisms.” Annales Scientifiques de l'Ecole Normale Superieure, 49 (2009) : 601-651.
3)Takashi Tsuboi. “On the uniform perfectness of the groups of diffeomorphisms of even-dimensional manifolds.” Commentarii Mathematici Helvetici, 87 (2012) : 141-185.

大学院情ノケカー工学系ムー究科長
萩谷 昌己 教授(再任)
(任期:平成24年4月1オ」〜平成25年3月31オ」)

大学院情ノケ学環長・学際情ノケ学府長
須藤 修 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成27年3月31オ」)

昭和55年3月 静岡大学人文学部卒業
昭和60年3月 本学大学院経済学ムー究科博士ハル程単位取得退学
平成元年3月 経済学博士(ヌタ京大学)
平成3年4月 本学新聞ムー究ヌソ助教授
平成4年5月 本学社会情ノケムー究ヌソ助教授
平成7年5月 ストックホルシ経済大学客員教授(併任)
平成7年8月 筑波大学先端学際領域ムー究センホアー客員ムー究員(併任)
平成8年4月 本学キ゚長補佐
平成9年6月 参議院メヘ工委員会客員調査員(併任)
平成11年4月 本学社会情ノケムー究ヌソ教授
平成12年4月 本学大学院情ノケ学環・学際情ノケ学府教授
平成22年3月 国立情ノケ学ムー究ヌソ客員教授(併任)
ヌソ属:大学院情ノケ学環 社会情ノケ学圏
専門分野:情ノケ経済論、社会情ノケ学
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)須藤修『複合的ネットワーク社会―情ノケストクノロジーと社会進化』有斐閣,1995年.
2)Osamu Sudoh ed., Digital Economy and Social Design, Springer -Verlag, 2005.
3)Osamu Sudoh and Yumiko Kinoshita, Transformative and Innovative e-Government for the Next Generation, Marijn Janssen et al. eds., E-Government, E-Services and Global Processes, Springer-Verlag, 2010, 111-124.

大学院公共政策学連携ムー究部長・教育部長
伊藤 隆敏 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成26年3月31オ」)

昭和48年3月 一橋大学経済学部卒業
昭和50年3月 一橋大学大学院経済学ムー究科修士ハル程終了(経済学修士)
昭和54年6月 ハーバード大学大学院経済学博士課程修了Ph.D. 取得
昭和54年9月 ソネソホア大学経済学部助教授
昭和61年7月 ソネソホア大学経済学部准教授
昭和63年9月 一橋大学経済ムー究ヌソ助教授
平成3年4月 一橋大学経済ムー究ヌソ教授
平成4年9月 ハーバード大学ケネディー行政大学院客員教授
平成6年8月 国際通貨基金(アイムケ)調査局上級審議役
平成11年7月 大蔵省副財務官
平成13年7月 一橋大学経済ムー究ヌソ教授
平成14年4月 本学先端科学技術ムー究センホアー教授
平成16年4月 本学大学院経済学ムー究科教授兼公共政策大学院教授
ヌソ属:大学院公共政策学連携ムー究部・教育部
専門分野:マクロ経済学、金融政策、国際金融
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)伊藤隆敏『不均衡の経済分析―カー論と実ウケ―』ヌタ洋経済新ノケ社,1985年.
2)Takatoshi Ito 『The Japanese Economy』MIT Press, 1992年.
3)伊藤隆敏(共著)『インフレ目標と金融政策』ヌタ洋経済新ノケ社,2006年.

ヌタ洋文化ムー究ヌソ長
大木 康 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成27年3月31オ」)

昭和56年3月 本学文学部卒業
昭和58年3月 本学大学院人文科学ムー究 科修士ハル程修了
昭和61年4月 本学ヌタ洋文化ムー究ヌソ助手
平成元年4月 広島大学文学部助教授
平成3年4月 本学文学部助教授
平成10年9月 文学博士(ヌタ京大学)
平成15年8月 本学ヌタ洋文化ムー究ヌソ教授
ヌソ属:ヌタ洋文化ムー究ヌソ ヌタヌ繝Wヌ繿贇部門文学分野
専門分野:中国文学
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)大木康『冒襄と『影梅庵フウ語』のムー究』汲ス書院,2010年.
2)大木康『シ莓イ龍『山歌』のムー究:中国明代の通俗歌謡』勁草書房,2003年.
3)大木康『中国遊里空間:明清秦淮妓オッの世界』青土社,2001年.

社会科学ムー究ヌソ長
石田 浩 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成27年3月31オ」)

昭和54年3月 上智大学文学部卒業
昭和61年11月 ハーバード大学大学院社会学博士ハル程修了
平成3年1月 コロンシロヌ繿蜉w社会学部準教授
平成11年4月 本学社会科学ムー究ヌソ教授
ヌソ属:社会科学ムー究ヌソ 比較現代社会部門
専門分野:比較社会階層論
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)Hiroshi Ishida. Social Mobility in Contemporary Japan. Stanford University Press, 1993.
2)Hiroshi Ishida and David Slater (eds.) Social Class in Contemporary Japan. Routledge, 2010.
3)石田浩・近藤博之・中尾啓子(共編)『現代の階層社会2 階層と移動の構造』ヌタ京大学出版会,2011年.

生産技術ムー究ヌソ長
中埜 良昭 教授
(任期:平成24年4月1オ」〜平成27年3月31オ」)

昭和59年3月 本学工学部アヲ築学科卒業
昭和61年3月 本学大学院工学系ムー究科アヲ築学専攻修士ハル程修了
平成元年3月 本学大学院工学系ムー究科アヲ築学専攻博士ハル程修了
平成17年8月 本学生産技術ムー究ヌソ教授
ヌソ属:生産技術ムー究ヌソ 基礎系部門
専門分野:耐震工学
ムー究内容(代表的イ熬書や論文等):
1)中埜良昭(分担執筆/岡田恒男・土岐憲三編)『地震防災のはイ烽オ 都市直ムケ地震ユ備える』朝倉書店,2006年.
2)Tatsuya ASAI, Yoshiaki NAKANO, Tomokazu TATENO, Hiroshi FUKUYAMA, Koji, FUJIMA,
Yuji HAGA, Tadashi SUGANO and Tsuneo OKADA “TSUNAMI LOAD EVALUATION BASED ON
DAMAGE OBSERVATION AFTER THE 2011 GREAT EAST JAPAN EARTHQUAKE,” Proc. of the International Symposium on Engineering Lessons Learned from the 2011 Great East Japan Earthquake, (2012) : 516-527.
3)中埜良昭,真田靖士『ニュージーランド・クライストチャーチ地震による建物被害』日本地震工学会誌/Bulletin of JAEE,No. 14(2011):63-66.

宇宙線ムー究ヌソ長
梶田 隆章 教授(再任)
(任期:平成24年4月1オ」〜平成27年3月31オ」)

部局長退任の挨拶

退任のご挨拶
前大学院法学政治学ムー究科長・法学部長
山ムケ 友信

 2年の任期を満了し退任することユイ烽霓ワした。この間ユは、ヌタオ」本大震災の発生という大きイ熄o来事があり、無我夢中でその後の対キリを図っていきスワしたが、ムー究科・学部という組織ユおいても危機管カーのあり方という点では、いろいろと考えさせられたところです。ムー究科・学部内部では、ムー究者養成を目的とするキ゚合法政専攻、法科大学院、法学部という3つの柱のいずれユおいても、国際化ユどのようユ取り組むかが問われ続けた2年間でした。ムー究科・学部の歴史の中で築かれてきた法学・政治学の教育ムー究の伝統と国際化の要請とをどのようユマッチさせるかは、永遠のハル題イ烽フでしょうが、ハヲ期ムー究科長のムケで、さらユ検討が続いて行くことユイ烽驍ナしょう。
 施設面では、正門近くの法学部3号館(法学部ムー究室)等の改修・増築工事が私の任期満了と同時ユ完了し、法学部図書室や法科大学院生自習室イ烽ヌも格段ユ改善されることユイ烽霓ワす。実現ユこぎ着けることができたのは、フ々イ燒ハでの全学の皆フのご協力ユよるもので、この場を借りて厚く御礼申し上げスワす。

感謝のヤ年間
前大学院工学系ムー究科長・工学部長
北森 武彦

 セルカン事件に始まり震災を経た2年間は激務でした。寝床で寝たのは週に12時間足らずだった最終報告の取りまとめや、寸断された道路と燃料供給難の中、被災地東海村にある教育研究用原子炉弥生への非常電源用燃料と同研究棟での避難生活者約100 名に食料飲料水の補給を続けた数週間、新学期の授業開始を五月とした苦渋の決断、さらに24時間体制で外部への対応と状況把握に努めたひと月あまりの日々、いずれもつい先日のような気がします。こうした困難の中、工学教育のマニフェストと評された教科書であり指導要領でもある「工学教程」の編纂開始とMIT など世界のトップ工学校6校の工学系Dean を招いたDeans Forum の開催など、将来を見据えた教育と国際戦略の重要プロジェクトを走らせることができました。困難を何とか乗り越え新しい施策を実現できたのは、ひとえに工学系研究科の教職員に学生諸君、そして関連部局に本部と学外の多くの方々のご理解とご尽力があればこそと、この二年間、常に感謝の気持ちでおりました。万感の思いとともに任期を終えるにあたり、工学系研究科の皆さん一人一人を誇りに思い、改めて敬意を表させて頂きます。ありがとうございました。

部局長を退任して
前大学院カー学系ムー究科長・カー学部長
山形 俊男

 遅い春をミち焦がれていたかのようユ咲き誇る桜花を眺めイ烽ェら、部局長として3年の任期を満了し、併せて定年を迎えることができたことユ安堵していスワす。世の常とはいえ、この間ユも多くのことがありスワした。最たるものはヌタオ」本大震災とその後の対キリです。千年ユ一度といわれる大地震と大津波、そして福島第一原子力発電ヌソの崩壊ユ伴って発生した放射性核種拡散という惨烈イ燻桝ヤユ直面し、私たちは科学・技術と社会の連携のフ要性を改めて認識させられることユイ烽霓ワした。この未曾有のツー局ユあっても、カー性を失うことイ烽ュ、学生、教員、職員が協力して適切ユ対キリし、スワた多くの教員が調査やヌ繝Eトリーチ活動ユ積スソ的ユ動いてくださったのはとても有りツーいことでした。
 ムー究科内だけを見ても、小石川植物園の温室改築、カー学部一号館三期工事、老朽化が進むカー学部ヤ号館問題イ烽ヌユ加えて、カー学ムー究と企業活動との適切イ煌ヨムァ構築、新たイ焜tロンストイヌ繧開拓する部局内連携と教育プログラシの導入、変動する社会ユあって揺れる学生の心のケヌ羇烽ヌ、取り組む問題がたくさんありスワす。しかし、いつの世ユも困ツーイ燒竭閧ヘあり、拙速ユ解決を目指すのではイ烽ュ、むしろ丁寧ユカー解し合い、協働する過程を積みフねてアクくことが大切イ烽フだと思いスワす。これを実践されている、すばらしい部局長の方々、執行部の方々と親しくお付き合いいただく機会を得たことは、人生の第ヤ幕ユ進む私の宝ユイ烽霓ワした。
 ヌタ京大学ユはこれからもノブレス・オブリージュの精神をもって、輝ける未来を開拓し続けていただきたいと思いスワす。

ムー究者とムー究科長職
前大学院薬学系ムー究科長・薬学部長
長野 哲雄

 研究者として、発想の独創性と本質の直截的表現を旨とするように訓練されてきた者にとって、研究科長職は戸惑うことの多い2年間であった。当初、研究科長職などの管理職と大学理系教員の研究者は発想法において対立するように思われた。危機管理に代表されるように、管理職の第一義は落ち度がないように、複数の提案をしても1つの失敗もないように安全運転を心掛ける。一方、研究者は原理において100 のうち99 が誤った仮説の提案であっても、正しいことが証明できた仮説が1つでもあれば一流の科学者と評価され、間違いの仮説についての責任は問われない。
 しかし、3.11 の東日本大震災による原発事故はこの研究者としての発想法に根底から疑問を投げかけた。国民生活に根ざした視点からの科学の応用面の正否は、ある意味において管理職的発想である。今後、科学の進歩に伴い、その実用化に対して多面的な評価が求められる事例が多くなるであろう。

任期を終えて
前大学院数カー科学ムー究科長
大島 利雄

 小学校の同級生であった桂研究科長の後を継いで、3年間数理科学研究科長を務めました。多忙で苦しいこともありましたが、振り返ると多くの方との出会いがあって楽しい3年間でした。研究科内外の皆様に大変お世話になり感謝いたします。学内最小の研究科であり、研究の犠牲なしには研究科長が務まらないようでは今後なり手がいなくなると考え、研究を続ける努力をしました。この3年間、特に2011年は私の今スワでの研究生活で最も多量の論文を書きました。約200 ページの最長論文もその一つです。1991年、理学部において数学が分離して共に大学院部局化の方向を決める超多忙な時期にも久城理学部長が自分の時間を確保して研究を続けていらしたのに感銘を受け、見習おうとしました。定年スワでの残り1年は、研究の方向をより拡げると共に、滞っている著作を仕上げ、3年間放っておいたdviout や数学のコンピュータ・プログラムのサポートも続けていきたいと考えています。

FLVCTVAT NEC MERGITVR(たゆたえど沈まず)
前大学院情ノケ学環長・学際情ノケ学府長
石田 英敬

 大学院情ノケ学環・学際情ノケ学府は2000年ユ発足した新しい大学院である。他部局からの流動教員をほぼ半数の構成員とするタフ自の運営シスストシで成り立っていることから、私は、ギリシャ神話ユ出てくる「ヌ繝局ネ船」ユサカえてきた。知の金羊毛をもたらさんとヤ十一世紀のヌ繝Jデソズシの海原ユ漕ぎ出したこの船も、私の在任中ユモヌ立十周年を祝うことができた。若き乗組員たちも育ち、修了生たちの社会での活躍も際だってきたこと心強いばかりである。
 つねユ好奇心を絶やさず、いつも冒険を続け、自ら変化し続けることをいとわイ烽「。これが私たちの「学の環」の約ソメである。ヌタ京大学もスワた今スワさユ大きイ焜`ャレンジへと向かいつつある。学環的イ烽髏ク神が全学的ユも求められる時が来たと密かユ自負している。新しい大学の世紀の波頭ユ立って、情ノケ学環というスワだ小さイ熨Dを操舵できたことは、私のささやかイ煌びであり、すべての乗組員のラィ身的努力、すべての関ムァ部局のごカー解ご協力ユ厚く御礼申し上げる。

退任ユあたって
前大学院公共政策学連携ムー究部長・公共政策学教育部長
田辺 国昭

 平成22年から2年間、公共政策学連携ムー究部長・公共政策学教育部長を務めさせていただきスワした。この間、英語ユよる教育を行う国際プログラシコースの発足と3月11オ」の大震災への対キリが、大きイ猝ル題とイ烽霓ワした。
 3月11オ」ユヌタオ」本をおそった大震災は、海外からの学生ユ、オ」本の学生以上ユ大きイ熾s安を感じさせることユイ烽チたと思いスワす。ほとんどの学生が一時オ」本をユサれ、公共政策大学院としても、国際プログラシコースのツヘスワりを5月へと引き延ばさざるを得スワせんでした。しかし、オ」本ユ戻ってきた学生から、「今ほどオ」本で勉強するのユよい時はイ烽「。イ烽コイ烽轣A今こそがオ」本の人々のみイ烽轤ク、内外の人々が一つとイ烽チて、復ツ閧ニ復興のみイ烽轤ク、もっとアィ象深く、エキサイストィングで、そして柔軟性ユスんだオ」本の再モヌ造ユむけて動き出す時イ烽フだから」というメッセージをいただき、教育という現場で、このようイ犒」本を超えたつイ烽ェりを感じることができたのは、大きイ煌びです。
 手つかずユ終わったハル題も多く残っておりスワすが、イ烽とか2年間を乗り切ることができたのも、執行部と事務組織、スワた、カー事や本部組織のお力添えのおシと思いスワす。多くの方々のご協力とご助言ユ感謝しスワす。

ムー究ヌソと大学の現代化
前ヌタ洋文化ムー究ヌソ長
羽田 正

 70年前ユ当時の世界観と学問体系ユ基づいてモヌ設されたヌタ洋文化ムー究ヌソが、どうすれば、ヌタ京大学や学術全般、さらユは現代のオ」本と世界ユ貢ラィできるのかということを考え続けた3年間だった。70年前と現在では、人間の人間ユ対する認識と人間の作り出す社会や世界のあり方が大きく変化している。ヌタ洋文化ムー究ヌソのムー究体制やソッションが永久不変であってよいはずがイ烽「。
 幸い教職員のカー解と協力を得て、ムー究組織を少しは「現代化」することができた。しかし、学術ムー究の広大イ燉フ域の中で、ヌタ洋文化ムー究ヌソという一部局が関わる分野はごく限られている。ヌタ京大学が全体として現代世界ユ対キリした知の拠点ユ衣セ蛯ヲしてはじめて、濱田キ゚長の「森を動かす」という言葉が実現するのだと思う。ヌソ長としての職務は終わるが、一構成員として、ヌタ京大学のためユ、今後も自分イ烽閧フ貢ラィができるようユ努力を続けたい。皆さん、お世話ユイ烽霓ワした。ありがとうございスワした。

第ヤ期釜石プロジェクトユ向けて
前社会科学ムー究ヌソ長
末廣 昭

 2009年4月から3年間、社会科学研究所の所長を務めました。記憶に残ることと言えば、何と言っても所長職3年目に遭遇しました東日本大震災とその後の被災地の復興に対する支援活動です。社会科学研究所では所内の「希望学」チームが中心となって、2005年度から岩手県釜石市で総合的な社会調査を実施し、市役所や市民の方々とも緊密な関係を作ってきました。 『希望学シリーズ』全4巻(ヌタ京大学出版会、2009年)の刊行によって、第一期釜石プロジェクトは完了しましたが、2年後に大震災が生じ、釜石市も津波によって甚大な被害を受けました。それから1年間、20 名を超すスタッフが、さまざまな形で釜石市の復興(希望の再興)に関わってきました。募金活動、震災後の暮らしに関する意識調査、復興に向けての若手人材育成の支援などがそれです。2013年度からは第二期釜石プロジェクトを開始する予定でいます。全学のみなさまのご協力をお願い申し上げます。

研究所長退任ユあたって
前生産技術ムー究ヌソ長
野城 智也

 生産技術ムー究ヌソがモヌ立60周年を迎えた2009年から3年間ヌソ長を務めさせていただきスワした。周年行事を通じて生ムーモヌ立精神の今オ」的意味を再確認したその年ユ、最先端ムー究開発支援プログラシの中心ムー究者を本ヌソから3人ミッ出できたことは光栄でありスワしたが、ヌソ長としては「実るほど頭をヤテれる稲穂」たらんことユ腐心しスワした。在任中、イノメヌーションのフ態の大きイ熾マ化と、ヌタオ」本大震災が突きつけた工学のパラダイシサモ換の刃ユ直面し、大学が果たすべき新たイ燒割を模索することユイ烽霓ワした。附置ムーのもつ柔軟性・機動性を活かして、知のモヌ造者としてだけでイ烽ュ、ハル題解決のための知の連携を生む媒介的中間組織としても貢ラィできることを模索し、産学連携・官学連携・学学連携の新たイ烽り方ユついて布石を打たせていただきスワした。生ムーユとって還暦はスワさユ生スワれ直しの時機とイ烽霓ワしたが、これらの布石が今後花咲いていくことを祈りたいと思いスワす。
 皆フ、大変お世話ユイ烽關スユ有りツーうございスワした。