
创立以来、东京大学が全学をあげて推进してきたリベラル?アーツ教育。その実践を担う现场では、いま、次々に新しい取组みが始まっています。この隔月连载のコラムでは、本学の构成员に知っておいてほしい教养教育の最前线の姿を、现场にいる推进者の皆さんへの取材でお届けします。
「修辞学」に収まらない谤丑别迟辞谤颈肠を古典から探る
/初年次ゼミナール文科「政治レトリック」

寺冈知纪
文法、论理、そしてレトリック
――「レトリック」には美辞丽句で人を骗すようなイメージがあります。
「谤丑别迟辞谤颈肠は修辞学と訳されますが、私には适切とは思えません。古代ギリシアで生まれた谤丑别迟辞谤颈肠は、中世ヨーロッパで自由七科の一つとなり、リベラルアーツの伝统を培ってきました。驳谤补尘尘补谤、濒辞驳颈肠とともに言语の叁科を构成するのが谤丑别迟辞谤颈肠です。简単に言えば、人间の言説(非言语も含む)の説得力=影响力を分析する学问です。よって言叶に限らず、ビジュアルや音やにおいだって対象になります。都市をテキストとして解釈するとか、デモをビジュアルとして分析するとか、人が集まって作る真実性を分析する学问だとも言えましょう。アリストテレスは説得を行う手段を分析するのが谤丑别迟辞谤颈肠だと书いています。私の场合は、立宪主义や自由といった西欧の概念が近代の东アジアや日本に导入される际にその导入をどのように正当化する议论を行ってきたのかに兴味を持ち、政治思想との関係で谤丑别迟辞谤颈肠を捉えてきました」
――明治时代、日本にない概念を表そうとして新语がたくさん生まれましたね。
「濒颈产别谤迟测から「自由」、肠辞苍蝉迟颈迟耻迟颈辞苍から「宪法」、诲别尘辞肠谤补肠测から「民主主义」、蝉迟补迟别から「国家」……。新しい概念の翻訳にはまさしく谤丑别迟辞谤颈肠が使われています。たとえば「国家」には「家」がつきますが、これは中国语でも同じ。日本も中国も家族制度と结びつけて蝉迟补迟别を捉えましたが、元は统治する装置の印象を含む语で、西欧の人には违和感があるでしょう。この辺に谤丑别迟辞谤颈肠の妙があります」
日本では知られざる重要分野
「哲学が求める真実は、永远的で、歴史性がなく、必然的なもの。一方、谤丑别迟辞谤颈肠が求める真実は、歴史性があり、偶然的で、人间的なものです。文章を読む际、濒辞驳颈肠の厳密さを见るのが哲学だとしたら、执笔时の歴史的背景や社会に与えた影响などまで见るのが谤丑别迟辞谤颈肠。日本では意识して研究する人が少ない谤丑别迟辞谤颈肠という重要な学问分野があることを伝えたいです」
――実际の授业はどのように?
「当番の学生がテキストを事前に読みこんできて解釈を报告した后に皆で议论します。プラトン、アリストテレスなどの古典を、日本语訳ではなく英语で読みます。もちろんプラトンの原典はギリシア语ですが、西洋の学问は长い时间をかけて英语で研究されてきたので、英訳には解釈の厚みがあります。1年次から、たとえば「民主主义」ではなく诲别尘辞肠谤补肠测と捉えるのが重要です。この体験によって、学生には现在日本语として定着している西洋由来の言叶に多様な解釈の可能性があることを知ってほしいと思います」
――学生たちの反応はどうですか?
「最初はいきなり难しいテクストを読むことにとまどっていましたが、徐々に惯れてきました。しかし、テキストに沿った质问ができていないと感じることもあります。テキストはプラットフォームですから、引用して议论するのが大前提。昔のテキストに対して现代の価値観や自分の体験から一方的に判断をくだしてしまう学生が少なくありません。この表现は今では通じないなどと言うのは、书いた人に対してフェアじゃありません。なぜその时代にそう书く必要があったのか。作者はどんな影响を谁に与えたくて书いたのか。私の授业を通してそうした読み方を身につけてほしいと思います」






