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令和7年度東京大学学部入学式 教養学部長式辞

令和7年度東京大学学部入学式 教養学部長式辞

东京大学に入学された皆さん、ご入学おめでとうございます。これまで皆さんを支えてくださったご家族、ご関係の皆さまにも、教养学部の教职员を代表して心よりお祝いを申し上げます。入学された皆さんはすでに新しい生活が始まり、不安と期待が入り混じった思いでしょう。皆さんはすでに今まで多くのことを勉强してきました。そして大学は今まで以上に奥深い学びが可能な场です。それは自由であると同时に自主性と自らを律する精神が求められることでもあるのです。空の広さを満喫しつつも、自分がしたいことが何であるかを考え、そしてただやりたいから行动するのではなく、どのように行动するべきかを深く考えながら大学生活を楽しんでほしいと思います。

东京大学では入学してからの二年间を驹场滨キャンパスの教养学部で过ごします。この前期课程からのメッセージとして本日は多様性についてお话をしたいと思っています。

もっとも大上段に构えるのではなく、身近なことから话を始めたいと思います。わたくしは冒头に「不安と期待」と述べました。人はなぜ不安に思うのでしょう。心理学の専门家であれば深い知见をもとに详细に理由を教えてくれるでしょうが、心理学を専门にしていないわたくしにとっては、それは知らないことがあるからなのではないかと思います。そして未知のことが既知のことになったとき、安心感を覚えます。ところで、皆さんの中には引っ越しをしてこの4月から学び舎に通っている人もいることでしょうが、わたくしもこの东京大学に勤め始めたとき、それまで住んでいたフランスのパリから引っ越して东京で暮らし始めました。小さなアパートを借りたときに、わたくしはたいへんな不安を覚えました。薄っぺらいいかにも防犯の役に立たなさそうな键を渡されたからです。フランスでは键は大きく重たいものです。そんな键が最低3つないと泥棒に入られても盗难保険がききません。勤务先でも入り口、オフィス、ロッカーと键がいくつも必要ですから、たくさんの键のついたずっしりと重たいキーホルダーを持ち歩くのが普通です。そんな国から日本に来て、自分の身を守るはずの键がいかにも頼りなさげなので、思わず不动产业者の人に「こんな键では键がかかっていても3分で开いてしまう」と苦情を言ってしまいました。そうしたらその人は「何を言ってるんですか、この键だったら3秒もかかりませんよ」と言うではありませんか。仰天しているわたくしに、土地に详しいこの业者の人は、この辺りは近所づきあいも深くて、泥棒は入らないから大きな现金を家に置かなければ大丈夫、と説明してくれました。わたくしは「それなら安心」と思ったわけではなかったのですが、フランスと日本とではセキュリティの概念が违うと感じたことを思い出します。

知らない考え方、未知の知见がわたくしたちには数多くあります。不安になることも日常茶饭事です。そのようなときに、自分の知见や価値観だけで判断するのではなく、他の人の话を闻くことは大切です。またさまざまな本を読み、学び、その知见をめぐって议论をすることがその知见の理解を深めてくれることを経験上知っています。その例を一つ挙げたいと思います。10年前の2015年にフランスで起こったパリ同时多発テロ事件です。ここにおられる皆さんのほとんどがまだ子供の顷に起こった事件ですから、详しいことを知らない方も多いと思います。130人の死者と400人を超える负伤者が出たこの事件は、11月のカフェで宵のひとときを过ごしていた人たちやロックコンサートに集まった観众を无差别に袭ったテロ事件でした。フランスは伝统的にはカトリックの国です。そのフランスをイスラム过激派のテロリストが袭撃したのですが、同じ年の1月にジャーナリズムを袭ったやはりイスラム过激派によるテロ事件の「シャルリ?エブド事件」のこともあって、宗教の违いによる不寛容の精神と、イスラム教徒が多い移民について议论が起こりました。この时、多くのフランス人が手に取った本があります。18世纪のフランス人作家?思想家であるヴォルテールの『寛容论』です。この『寛容论』を生んだきっかけとなった事件が、カトリックとプロテスタントの対立ゆえに起こった「カラス事件」と呼ばれる事件です。実の子を杀害した容疑で父亲が逮捕されて、処刑されたのですが、狂信的な宗教心と差别意识が背景にある冤罪事件でした。ヴォルテールは被告の名誉回復を図って本书を书いたのですが、それは偏见と狂信を纠弾し、人间理性への信頼と、寛容であることの価値を説いた书だったのです。

大きな犠牲者を出した未曽有の事态に不安を覚える21世纪のフランス人の心に、18世纪の思想家の书が响いたということに、惊きを覚えます。异なる时代のものであっても、他者に対する不寛容な精神を考察する言叶に耳を倾けようとする気持ちの表れなのでしょう。フランスには移民が多く、异なる宗教や文化をもってフランスで生活しています。多様な社会を认めて、自分とは异なる人を排除しようとする考えをどのように理解したらよいのかを、人々が探り、そして议论したのです。

多様な社会にかかわる考察はフランスだけで実现しているわけではありません。アメリカでも日本でも进められていて、さまざまなレベルでの议论があることは皆さんもメディア等で触れていることと思います。ただ、メディアだけではなく、メディアでは决して多くは取り上げられないような学术の议论の场があります。さきほどのパリ同时多発テロならば、たとえば本学驹场滨キャンパスで开催された「驹场で考える<シャルリ>以降の世界」というシンポジウムもその一つでした。大学で学ぶ皆さんは、そのような学术の议论の最前线に直接触れることができます。学びを深めるためには议论が必要です。ぜひそのような机会に积极的に参加してほしいと思います。

さて、冒头に话したわたくしの小さなアパートですが、住み始めてみると、不动产业者の人が话してくれたように、ご近所の人との付き合いがあって、挨拶や会话を続けているうちに、お互いに安全を确认し合っているような生活になっていきました。アパートの键は頼りない小さな一つの键のままですが、ご近所さんとのつながりの轮が広がることで、目に见えないいくつもの键が手に入ったような気がしています。そのことに気付いたときに、わたくしは今一度セキュリティの考え方の违いを感じました。ご近所の人はみんなが同じ価値観を持っているわけではありません。しかし、会话をし、人间関係を深めることで、自分が知らなかった多様なものの见方や知见に触れることができています。そのことでさまざまな不安がなくなり、安全安心が生まれていることを感じます。むろんそれだけでほんとうに盗难の被害に遭わないかどうかは分からないのですが、わたくしがフランスで持っていた価値観とは异なる仕组みがそこに働いていることを理解することができたのだと思います。

学びと対话を通じてさまざまな価値観の间を往復することは、目に见えない多くの键を手にすることです。大学が奥深い学びの场で、自由であると同时に自主性と自らを律する精神が求められることを冒头に述べましたが、自主的かつ自らを律する学びには、逆説的に他者とのダイナミックな関係の构筑が必要で、そのことにより自分ひとりでは到达できない広い知のあり方が身につくのです。多様な考え方に开かれた心を涵养し、教养学部前期课程の教育をきっかけに本学で目に见えない多くの键を手に入れてほしいと愿って、教养学部长としての式辞といたします。

令和7年4月11日
东京大学教养学部长
寺田 寅彦

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