令和7年度東京大学学部入学式 祝辞(国際人権NGO ヒューマン?ライツ?ウォッチ日本代表 土井 香苗 様)


令和7年度東京大学学部入学式 祝辞
新入生の皆様、ご家族の皆様、この度はご入学おめでとうございます。本日、皆さんが东京大学で新たな一歩を踏み出されることに心よりお祝い申し上げます。
私は、大学卒业后、弁护士を経て、ヒューマン?ライツ?ウォッチという国际人権狈骋翱の日本オフィスを立ち上げました。
私もかつて、东京大学の新入生としてこの场に立っていました。しかし、その顷の私は、自分の歩む道について、确信を持てずにいました。
そんな私ですが、东大在学中にとった行动が、人生の転机になりました。みなさんがこの4年间をどう过ごすかの参考になればと思い、その経験を共有します。
その経験とは、「アフリカのエリトリアに、1年间行く」と决意し、実行に移したことです。
エリトリアは、アフリカの北东部に位置する小さな国で、当时アフリカで一番新しい独立国でした。30年にわたるエチオピアとの独立戦争を経て独立したばかりでした。
きっかけといえば、中学时代にまでさかのぼります。中学3年生の顷に先生が授业中に配布してくれた副教材、犬养道子さんの「人间の大地」という本を読んだのです。犬养道子さんが访ねたアジア、アフリカの难民キャンプの过酷な现実やその政治的背景をえぐったルポルタージュでした。
同じ地球に生きる人间として、私とあまりに异なる环境に大きなショックを受けました。そして以来、私の将来の梦は、难民を助け、世界の人道危机の解决に役立つ仕事をすること、になりました。そして、现実を肌で理解するために、アフリカの「现场」に行きたい、と考えるようになったのです。
しかし周囲の反対もあり、アフリカ行きを実行に移すことはなかなかできず、大学入学时には、梦は一时冻结状态でした。しかし、大学3年生のときに起きたある环境の変化により、突如、梦が実行可能な状况になりました。そこで、「いまだ!」と决意したのです。
とはいえ、大学生の私には、アフリカ行きのつてがありません。そこで、私が頼ったのは、ピースボートという狈骋翱でした。当时の东大の构内、とくにトイレには、たくさんのビラが贴ってあり、そのひとつがピースボートでの世界一周の船旅のチラシでした。そこで、思い切って、难民キャンプでボランティアをしたいので、「アフリカに行きたい」と相谈してみました。
そうしたところ、吉冈达也さんというピースボートの共同代表が相谈にのってくれて、「エリトリアというアフリカで独立したばかりの国で、宪法制定などの法律作りを进めている。そこで、法律作りの手伝いができるのではないか?司法试験に受かったのなら、役に立てるかもしれない。」と提案してくれました。
アフリカで一番新しい国で法律作りを手伝うという想定外の提案をされ、すっかり梦中になってしまいました。
とはいえ、エリトリア政府がボランティア募集しているわけではありません。日本から连络しても、电话はすぐに切られてしまうし、全くらちがあきませんでした。
そうしたところ吉冈さんはまた新たな提案をしてくれました。「ピースボートに乗ってエリトリアに行き、法务大臣に会ってお愿いしよう」というのです。そんなことできるの!?と惊きましたが、ファックスでも电话でもダメなのですから、直谈判に赌けてみるしかありませんでした。
大学3年生だった私は、ピースボートの世界一周の船に乗り込み、エリトリアに行きました。そして现地でつてをたどったところ、なんと本当に法务大臣と会えることになったのです。
极度の紧张の中で、法务大臣に対し、「エリトリアの法律作りにボランティアとして1年间参加したい」とお愿いしました。数秒の沉黙の后、大臣は、「受け入れましょう」と快诺してくれたのです。
そんなわけで、大学4年生の1年间を、私はエリトリアで过ごしました。大学时代の1年间をアフリカで过ごしたことは、私の人生の転机となり、计り知れない粮となりました。
もう一つ、私の人生の2つ目の転机の话をさせて下さい。それは、弁护士9年目に行った、国际人権狈骋翱ヒューマン?ライツ?ウォッチの日本での立ち上げという社会的起业です。
话は少し前にさかのぼります。私はエリトリアから帰国后、东京で弁护士になりました。梦だった难民の弁护は、难民からは费用をとらずにプロボノで行うしかありませんでしたが、弁护士としての通常业务でお金を稼ぐ傍ら、寝る间も惜しんで仕事に全力投球していました。
そして5年后、私は弁护士业に一区切りをつけて、かねてからの念愿だった初の海外留学を果たしました。アメリカのニューヨーク大学での修士课程でした。
そのころの私は、弁护士业からの方向転换を模索し始めていました。自分の24时间をすべて人権のために使いたかったからです。つまり、プロボノで人権活动をする人生ではなく、人権を本业にする人生を模索し始めていたのです。一回切りの人生、自分のパッションに全力投球したかったのです。
しかし、当时の日本ではそれは无理な话でした。弁护士の人権活动に给料を払う団体はありませんでした。雇ってくれる団体が日本にないなら、自分で作るしかないかもと考え始めていた私は、そんな中、世界最大级の人権狈骋翱であるヒューマン?ライツ?ウォッチの本部が、自分が留学中のニューヨークにあることを知りました。
ヒューマン?ライツ?ウォッチはスタッフを何百人も抱えており、その多くは弁護士です。弁護士に給料を払えるNGOはどのように運営されているのか、组织に入りこんで学びたいと思うようになったのです。
そして、试行错误を重ねた结果、1年间のフェローというポジションをもらうことができました。
そして1年间のフェロー生活の中で、ヒューマン?ライツ?ウォッチの人権调査活动の质の高さに衝撃を受け、ほれ込んでしまった私は、日本に帰国してからも、ヒューマン?ライツ?ウォッチで仕事を続けたいと热望するようになっていきました。
帰国目前になって、ヒューマン?ライツ?ウォッチの代表の部屋に呼ばれた私は、代表の口から、思いがけない提案をされました。「东京に戻ったら、寄付を集めて、东京オフィスを立ち上げることはできないか。」
心の中で「えー!」と叫んでいました。勤め続けたいと愿ってはいましたが、起业までは想定はしていませんでした。でも、こんなビッグチャンスは一生に一度、あるかないかです。初めから諦めるという选択肢はありませんでした。「ぜひやらせてください」と即决で回答していました。
その日から、私の头は、ヒューマン?ライツ?ウォッチを日本に上陆させるというプロジェクト一色になりました。
财务部门からは、东京オフィスを立ち上げるためのファンドレイズの目标额は、毎年少なくとも2500万円、间接费も含めると本当は毎年4000万円必要、と知らされました。当时は今以上に、「人権」や「狈骋翱」に対する社会の认知度も许容度も低い时代でした。高すぎる壁にため息でしたが、諦めるわけにはいきません。
帰国后、オンラインの保険会社を起业していた大学时代の友人、岩瀬大辅さんに相谈したところ、彼を通じて、当时マネックスグループ株式会社の社长をされていた松本大さんを绍介してもらうことができました。
私の话を闻いた松本社长は、「私は人権の専门家ではないからできることに限りはあるけれど、个人としての応援ならできます」と言ってくださいました。叫びたいほどうれしかったのをよく覚えています。
松本社长は、知人も巻き込んで、支援の轮を広げてくださいました。そして、起业活动开始から1年半を経た2009年、ヒューマン?ライツ?ウォッチ东京オフィスを正式に立ち上げることができました。私は、弁护士はやめて、ヒューマン?ライツ?ウォッチの日本代表になり、今に至ります。
当初2名ではじめた东京オフィスも、今ではスタッフ10名近くに成长しました。日本の中で、そして国外で起きている人権侵害を止めるアドボカシー活动に専念できる毎日に、感谢しかありません。
一方、世界を见渡すと楽観できません。ガザやウクライナでの戦争はもちろん、ミャンマーやスーダンなど、报道は少ない纷争でも多くの民间人が犠牲になっています。人びとの尊厳が守られる世界に近づいているとはいいがたい状况です。
日本は今でも世界第4位の経済大国です。日本政府はその影响力にふさわしい人権外交を行っているでしょうか。残念ながら答えは狈翱です。
私のミッションのひとつは、そんな日本外交を変えることです。日本外交を変えられるのは日本の人びとです。日本が人権のリーダーシップをとる国になること、日本がその外交の力を人権のために使うようになること。それは、今この瞬间も苦しんでいる世界各地の人権侵害の被害者に対する、日本に住む私たちの责任でもあると思っています。
最后に、皆さんの东大での4年间が充実したものになるよう、2つメッセージをお伝えします。
一つ目に、海外に飞び出す机会をできるだけつかんでほしいのです。世界は広いです。素晴らしいことも悲惨なこともあり、すべては现実です。大学时代の海外体験は、かけがえのない人生の粮になるでしょう。
アフリカやアジア、その他の地域にも、臆せずに行ってみてください。そして社会の「现场」に身をおいて体験してみて下さい。日本は世界の一部なのですから。
二つ目が、自分のパッションに正直になって、その道を追求してみてほしいのです。
あなたのパッションの追求に反対する人もいるでしょう。私にもそんな人がいました。でも、一回きりの人生です。自分の胸に手を当てて自分の声を闻いてください。
そして、そのために必要なら、起业にもチャレンジして下さい。社会的起业であろうと、経済的起业であろうと、信じるものがある人には、自然に人を「巻き込む力」が生まれます。
みなさんの中から、日本をそして世界をよりよくするアクションを広げていく人がたくさん生まれてくると信じています。
改めまして、おめでとうございます。どうもありがとうございました。
令和7年4月11日
国際人権NGOヒューマン?ライツ?ウォッチ 日本代表
土井 香苗
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